『トーク・トゥ・ハー』ペドロ・アルモドバル

愚かで滑稽で切ない純愛

トーク・トゥ・ハー

《公開年》2002《制作国》スペイン
《あらすじ》舞踏劇を観る二人の男。面識のない二人だが、ベニグノ(ハビエル・カマラ)は隣で涙ぐむマルコ(ダリオ・グランデネッティ)を気にかけていた。
ジャーナリストのマルコは、女闘牛士リディア(ロサリオ・フローレス)をテレビで見て興味を持ち、彼女の記事を書きたいと近づいたことから交際が始まり、数か月後には恋人みたいな関係になっていた。
ある日、リディアは競技中に闘牛の突進を無防備に受けて重傷を負い、昏睡状態に陥ってしまい、医師から回復は見込めないと言われたマルコは、悲痛な思いでリディアに付き添っていた。
一方、20年間母を介護し看取ったベニグノは、自宅の向かいにあるバレエ教室の生徒アリシア(レオノール・ワトリング)に惹かれ、後をつけて精神科医院である自宅を突き止めて、患者となってアリシアの部屋から髪留めを盗み出した。
そのアリシアが交通事故に遭って昏睡状態になり、世話をする看護師として父親に雇われたベニグノは、以来4年に渡り、日々の出来事を彼女に話し聞かせながら献身的に世話をしてきた。
このようにして、昏睡状態の女性の世話をする同じ境遇から、マルコとベニグノは知り合い親しくなるが、ある時、病室にリディアの元恋人が現れ、事故が起きる以前に二人がよりを戻していたと知ったマルコは、これ以上そばにいられないと思い旅に出る。
一方のベニグノはアリシアとの結婚を考えていて、そんな中、「体が縮み続けて愛する女性の性器に入る男」を内容としたサイレント映画に刺激を受ける。
やがて、生理がないことでアリシアの妊娠が発覚し、最後の生理日を偽って記載したベニグノが疑われ、レイプ犯として逮捕され収監される。
8か月後、海外にいたマルコは新聞でリディアの死を知り、病院に入れた電話で、ベニグノが投獄されていると聞いて、セゴビアの刑務所に向かった。
面会に訪れたマルコは、ベニグノから出産したはずのアリシアの様子が知りたいと懇願され、マルコはベニグノの部屋を宿泊場所として借りる。そこから向かいのバレエ教室を眺め、杖を使いながらも歩けるようになったアリシアの姿を見て驚いた。
弁護士から子どもは死産だったと聞かされ、精神的に不安定なベニグノにアリシアの回復を伏せるよう口止めされたマルコは、彼女は昏睡状態のままだと伝えた。
翌朝、ベニグノからの留守電メッセージを聞いてマルコが刑務所に駆け付けると、マルコ宛てに「アリシアと同じ世界に行く」という手紙を残して彼は命を絶っていた。
ある晩、舞踏家の公演を観に行ったマルコは、幕間の休憩でアリシアから偶然に話しかけられ、初対面を装って話す。旧知のアリシアの母は秘密を知るマルコの出現に困惑しながら、「何事も簡単ではない」とつぶやいた。

《感想》冒頭、後の物語を暗示するかのような舞踊公演から始まる。カフェのような空間を、目を閉じた女性ダンサー二人が夢遊病者のように歩き回り、ウェイター風の男性が椅子にぶつからないよう、女性の動きに合わせて椅子をよけていく(ピナ・バウシュの『カフェ・ミュラー』)。
昏睡状態にある女性に寄り添い献身的な世話をする二人の男のように、無償のその行為は女性に見えていないだけに切なく哀しみを宿している。
眠ったままの相手に4年間も語り続けた、純粋だが危険すぎる男の歪んだ愛は、女性を眠りから目覚めさせる奇跡を生むが、犯罪は悲劇しか生まず、その奇跡を知らずしてすれ違いの死を迎えてしまう。
愚かに思えるが滑稽でもあり、変態ぶりに嫌悪感は抱くが、その裏に男の純粋さが見えて、切なくもある。
そのきっかけとなったサイレント映画『縮みゆく恋人』が秀逸。生々しくて馬鹿馬鹿しく、エロいのだがコミカル。ラストは運命を暗示するかのようだ。
全体がアルモドバル独特の映像美に包まれ、不思議な哀愁が漂う。特にカエターノ・ヴェローゾが歌う『ククルクク・パロマ』は心に沁みた。
好き嫌いがハッキリ分かれそうな映画だが、孤独な男の悲喜劇の裏から複雑な精神世界が見えてきて、想像力を掻き立てる奥深さを秘めている。

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投稿者: むさじー

名画座通いの昔からネット配信の現代まで、温故知新、共感第一、ジャンル無節操、が映画選びのモットーです。 映画は時代と人生を映す鏡。心に響くドラマを求めて、“映画の旅”を楽しんでいます。