戦争の傷跡をたどり、今ある命を思う
《公開年》2010《制作国》フランス
《あらすじ》1942年、ナチス占領下のパリ。フランス警察によるユダヤ人一斉検挙が行われ、10歳のユダヤ人少女・サラ(メリュジーヌ・マヤンス)は、弟ミシェルを守ろうと納戸に隠して、鍵を掛けたまま家族三人で連行された。
2009年。夫と娘と共にパリで暮らすアメリカ人女性ジャーナリストのジュリア(クリスティン・スコット・トーマス)は、夫の両親が1942年から住んでいた古いアパートを譲り受けて住むことになる。
ジュリアは、パリでのユダヤ人迫害やヴェルディヴ(屋内競輪場)事件の取材を始め、屋内競輪場に閉じ込められたユダヤ人たちの惨状を知る。
そんな中ジュリアは、45歳で待望の第二子妊娠を喜ぶが、夫ベルトランから高齢での育児を望まないと反対され、出産か中絶か思い悩む。更に引っ越した家が、かつて検挙されたユダヤ人から接収した家だと知り、秘かに保管されていた手紙を読んで、ユダヤ人少女・サラの足跡をたどっていく。
【1942年】サラと両親は、ミシェルをアパートの納戸に閉じ込めたまま屋内競輪場に連行されたが、そこは排泄もままならない劣悪な環境だった。息子を逮捕して欲しいと懇願するも聞き入れられず、数日後にはボーヌ収容所に移され、大人と子どもは引き離されて大人は更に移送されて行った。
サラは一人になっても閉じ込めてきたミシェルが気がかりで、知り合った少女ラシェルと脱走を企てる。見張りの警官に逃がしてもらい、近くの村までたどり着くが、ラシェルが病に倒れて、見かねたデュフォール夫妻に匿われた。
夫妻はサラを孫と装ってパリに連れて行き、かつて住んでいたアパートを訪れるが、既にテザック家が引っ越してきたばかりだった。強引に上がり納戸を開けたサラの目に飛び込んだのは、ミシェルの無残な姿だった。
その遺体はデュフォール夫妻が引き取り、テザック家の主人と息子(ベルトランの父)はこの一件を二人だけの秘密にした。その後もデュフォール夫妻からテザック家宛てにサラの近況を伝える手紙が届いたが、成長したサラは夫妻に置手紙を残して姿を消してしまった。
【2009年】ジュリアンはサラがその後、ニューヨークに渡って結婚したことを知り、足跡を追うようにブルックリンに向かったが、サラが既に40年も前に交通事故で亡くなっていたことを知る。
しかし、サラの息子・ウィリアムがイタリアのフィレンツェにいると知って会いに行く。しかしウィリアムは、母がユダヤ人であったこともその悲劇も知らず、彼女を拒絶した。真実を求めるあまり、他人の人生に干渉し過ぎたことをジュリアは後悔した。パリに戻ったジュリアは、堕胎せずに生むことを決めた。
一方ウィリアムは、病床の父から母は事故死でなく鬱病からの自殺であることを聞き、サラの遺品である日記と鍵を受け取った。
それから2年後、ニューヨークで二人の娘と暮らすジュリアの元をウィリアムが訪ねる。ウィリアムは亡き母の真の姿を知り、そのことで父が穏やかに死を迎えたと伝え、ジュリアは自分の傲慢さを詫びた。二人は打ち解けて、生まれてきた娘にサラと名付けたことを知ると、ウィリアムは涙を流した。
《感想》ナチスから弟を守ろうとしたユダヤ人少女・サラは、命を救えず悔いてトラウマを抱えたままに生き、ジャーナリストとしてサラの足跡をたどるジュリアは、満たされない孤独と空虚さを抱えながら新たな生命の誕生に戸惑っている。そんな二人の視点で、過去と現在が交錯して描かれる。
なぜ単にサラの物語でなく、ジュリアという現代女性を登場させて、こうも複雑に入り組んだ物語にしたのか、しばし考えこんでしまう。
ジュリアはサラの過去を探るうち、かつて死ななくていい沢山の命が失われていた実態を知る。そしてジャーナリストとして、命を消すことが正当化されていた時代を糾弾するのであれば、現代に誕生せんとする命もまた尊ばれなければならないと気づく。だから、ジュリアが子どもを産む決心をしたのは、授かった命を殺したくないという気持ちから、だと思う。
はるか昔のサラの悲劇に思いを馳せ、今の自分にとって命とは‥‥そんな変わらない命の重みを伝えたかったのだろう。良く練られた脚本である。
難を言えば、現在パートの組み立てが複雑に過ぎる気がする。パリ、ニューヨーク、フィレンツェと飛び回り、真相に絡む関係者が連鎖的に登場して散らかり過ぎた感がある。そのせいか、過去パートのサスペンス的展開に比べやや散漫な印象を持ってしまった。
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