戦時下の寓話的世界と現実
《公開年》2014《制作国》イラン
《あらすじ》イランとイラクの国境にある立入禁止区域の川に放置され朽ちかけた一艘の廃船。少年(アリレザ・バレディ)はその廃船を住処として一人たくましく生活していた。
少年は危険を冒して、川で魚や貝を獲って干物や貝殻の飾り物を作り、水に潜って国境を越え、藪に隠した自転車を走らせて近くの商店に売り生計を立てている。
ある日、少年と同年代の少年兵(ゼイナブ・ナセルポア)が銃を持って乗り込んできて、少年は追い返そうとしたが、少年兵が話すのはアラビア語で、ペルシャ語の少年とは会話が出来ない。
その後も居座る少年兵は、投網を使ったロープで甲板を二つに仕切り、自分の縄張りであるかのように振舞いだす。更に船内を破壊し鉄骨の廃材を勝手に船外に持ち出し、腹を立てた少年は怒鳴り散らすが、言葉が通じない少年兵には届かなかった。
ある時、少年が少年兵の後をつけてみると、驚くことに彼が長い髪を髪飾りで束ねる姿を目撃し、少年兵が実は少女だったと知る(以下「少女」と記す)。
ある日、船外で大きな爆発音が鳴り響き、少女が爆発の方向に走って行って戻ると、やがて船内から赤子の泣き声が聞こえ、少女が赤子を抱いて涙を流している姿を目撃した。
少年は“何もしない”と身振りで示し、自分の寝床を譲って赤子をあやし、少女を落ち着かせる。それ以降、少年は粉ミルクや食料を調達したり、赤子の世話をしたりと二人は打ち解けていき、少女は境界線の投網を外した。
そんなある日、今度は米兵(アラシュ・メフラバン)が廃船に入り込んできて、少女に銃を突き付けてきたが、少年は機関銃で少女と赤子を助け、隙を突いて米兵を船室に閉じ込めた。
少年は泣き止まない赤子のために、船室に残してきたミルクを取りに戻るが失敗し、それに気づいた米兵から「友達だ」とミルクを差し出され、部屋から出して欲しいと懇願されるが、信用しなかった。
時間が経って少年が米兵の様子を覗くと、米兵は泣きながら戦争への怒りと家族への愛を口にしていた。翌日、水が欲しいと訴える米兵が降参の証として拳銃を手放したので、少年は水を渡そうとし、それに少女は激しく抵抗した。
米兵に水を与え、鍵を開けて、米兵が二人の元に来る。少女は銃で身構えるが「もう嫌!」と泣き崩れ、それを見た米兵も共に泣いた。やがて、少年と少女、米兵は協力して赤子の面倒を見るようになり、言葉の壁や境遇を超えた連帯感が生まれる。
朝になり少年は赤子のミルクを買おうと一人町に出かけたが、船に戻ると船内は荒らされていて、少女も赤子も米兵も姿を消していた。少年はゆりかごのベッドで横になるが、やがて少年の姿も消え、ゆりかごだけが揺れていた。
《感想》紛争下のイランとイラクの国境に放置された廃船。そこに暮らす少年と、船に侵入してきた立場も言葉も異なる人たちとの心の交流。
最初の20分ほどはセリフがなく、川で魚や貝を獲り加工して売って、ただ一人たくましく生き抜いてきた少年の暮らしが淡々と描かれる。
その後はペルシャ語、アラビア語、英語が飛び交うが互いの言葉は通じない。言葉が通じないからこそ、他者に思いを馳せ人は一層繋がろうとする。
やがて3人の言葉を介さないユートピア的空間が作られ、温かい気持ちにさせられたのも束の間、唐突に切り捨てるようなエンディングを迎え、しばし呆然とさせられる。
米兵が少女らを連れ去ったのか、それとも外部の力で連れ去られたのか? 何が起こったのか全く語られず、想像するしかない。
何とも後味が悪いが、それまでの寓話的世界は消失し、これが戦争であって何もかも一瞬で吹き飛んでしまう、という強いメッセージが込められている。
声高に反戦を叫ぶ訳ではないが、戦争は理不尽で残酷なもの、そして失うものの大きさに思いが及び、失った切なさが深く心に刺さる。
監督の長編デビュー作。サイレント映画に近いセリフの少なさは、言葉の壁を超えるという点で実験的、意欲的で、それを補完するだけの映像の力を秘めている。イラン映画には一目置かざるを得ない。
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