『スリング・ブレイド』ビリー・ボブ・ソーントン

異端と孤独が織りなす切ない寓話

《公開年》1996《制作国》アメリカ
《あらすじ》知的障害を持って生まれ、12歳で母親とその愛人を殺して精神病院に入れられたカール(ビリー・ボブ・ソーントン)は、25年の拘束期間が過ぎて退院させられ、故郷に戻った彼は、フランク(ルーカス・ブラック)という少年と知り合う。
町に出たものの途方に暮れて病院に舞い戻るが受け入れられず、院長の世話で機械の修理手伝いの仕事にありつく。町で再びフランクと会い、出向いたスーパーでフランクの母親でシングルマザーのリンダ(ナタリー・キャナディ)、店長のヴォーン(ジョン・リッター)に会う。
フランクから事情を聞いたリンダは、カールがガレージで寝泊まりすることを承諾した。更に、リンダの愛人であるドイル(ドワイト・ヨアカム)が粗暴であることや、ヴォーンがゲイであることを知る。
ヴォーンはカールに言う「ゲイの僕と病気の君は共に異端だ。だがドイルは危険人物だから、住むには覚悟が必要。何があっても彼らを傷つけないで」と。
リンダの家を訪れたカールはドイルに会うが、酔ってはキレるドイルは周囲から嫌われ、リンダとの仲も付いたり離れたりしている。この夜もパーティと称してバンド仲間を呼ぶが、酔って仲間を追い出し、リンダに手を上げたため、皆してドイルを追い出した。
翌日、その夜の暴力を詫びにドイルがリンダの家を訪れる。
フランクと散歩に出たカールは幼い頃、まだ胎児だった弟を両親の命令で捨てたことを話した。「子どもを苦しませてはいけない。大人が背負うべきだ」とも。
カールはかつて住んでいた廃屋のような離れに行く。そこには幼少期に寝ていた穴があり、胎児のまま埋めた弟に祈りを捧げた。実家には酒浸りで認知症気味の父親がいて、カールを拒絶する父親に、怒りと悲しみの言葉を浴びせて別れを告げた。
日曜日、洗礼を受けたカールだったが、家に帰るとドイルがいて、この家で暮らすからフランクは自分に従うように、カールには出て行けと言い放つ。
カールはリンダやフランクに別れの挨拶をした後、ヴォーンに二人の今後を頼んで、ドイルがいるリンダの家を訪れる。そして芝刈り機の刃でドイルを殴って殺害し、自ら警察に電話を入れた。
病院に戻ったカールは、入院する仲間から外での暮らしを聞かれる。カールは「外の世界は広すぎる」と言い、閉じられた部屋から外を眺めてエンド。

《感想》知的障害を持つ男カールは、少年期に母親とその愛人を殺して精神病院に入れられ、25年を経て戻った故郷でフランクという少年と知り合い友情が芽生える。
社会復帰しても異端者として生きざるを得ない男も、少年も孤独だった。少年には母親の愛人という憎むべき存在があって、その憎しみに男がかつて抱いた感情が重なった時、男の友情は大人としての決意に変わる。
当初、ビリー・ボブ・ソーントンが一人芝居で演じていたものを軸に、登場人物や周辺を具体に肉付けして映画化したものらしい。
残虐な場面を一切見せることなく、張り詰めた緊張感を維持させる。これも一人芝居からの成果だと思うし、それを演じきったソーントンの卓越した演技が素晴らしい。
しかし、一人芝居の名残がマイナスにも感じられた。カールの視線から見えた社会を、カールの心情に沿って描いているようで、リアルな現代社会が描かれずボンヤリしたものになっている。
まず、虐げられている実情が見えにくい。悪役ドイル以外は皆善人で、ゲイや障害者に偏見を持たず受け入れていて、確執なき理想社会に見えてしまう。
そして、社会的支援が描かれない。障害者が社会復帰するための援助や、ドイルのような暴力男を排除する仕組みはなかったのか。あれば別の選択肢もあったはずである。
そんな点が気になって、映画としての完成度は今一つかと思う。
しかし、どことなく寓話性を感じさせ、心に響く良作ではある。

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投稿者: むさじー

名画座通いの昔からネット配信の現代まで、映画選びのモットーは温故知新、共感第一、ジャンル無節操、です。 映画は時代と人生を映す鏡。心に響くドラマと快楽を求めて、“映画バカ”をやっています。