『心中天網島』篠田正浩 1969

現代アートで描く近松世界

《あらすじ》紙屋の治兵衛(中村吉右衛門)は、妻子がありながら紀伊国屋の遊女小春(岩下志麻)と深い仲になり、仲を裂かれるなら共に死のうと心中の約束をしていた。そんな小春の元に金持ちの太兵衛からの身請け話が舞い込む。
ある日、頭巾を被った侍が客として小春を訪れるが、心中をほのめかし物騒な話をする小春に訳を尋ねると、「本当は死ぬのが怖い。治兵衛さんを諦めさせて」と懇願する。
それを陰で聞いていた治兵衛は小春の本音を聞いたと早合点し、格子戸に近づいた小春を脇差で刺そうとした。ところが侍に取り押さえられて、治兵衛は手首を格子戸に括り付けられてしまう。
そこへ太兵衛が現れ、無様な治兵衛をはやし立てるが、そんな太兵衛を侍は懲らしめて追い払った。侍は、治兵衛の兄の粉屋孫右衛門だった。
小春に入れ揚げ商売に支障を来たしている弟を諫めようと訪れた孫右衛門は、小春から心中の誓紙を取り上げるが、その中に治兵衛の妻おさん(岩下二役)からの手紙が入っていて、真相を悟る。
それから数日して、相変わらず仕事に身の入らない治兵衛の元を、おさんの母と孫右衛門が訪れ、小春の身請け話の噂について詰め寄る。治兵衛は「身請けの噂は太兵衛のこと」と言って、そんな事実はないと誓詞を書いて帰した。
しかしその後、治兵衛は布団に潜って泣き伏し、それをおさんは未練の涙と解し「妻子への冷たい仕打ち」と泣くが、治兵衛は悔し涙だという。
「もし他の客に身請けされようなら命を絶つ」という小春の覚悟を聞いたおさんは、「女同士の義理を立てて別れる」という小春の返事を既に受け取っていて、「それなら小春は死ぬかも知れん。死なせたら女の義理が立たん」と治兵衛に、太兵衛より先に身請けするよう勧める。
そして、ありったけの着物を質に入れ、小春の身請け金を準備しようとするが、そこにおさんの父・五左衛門が現れ、荷造りした着物で実情を悟り怒った五左衛門は、無理やりおさんを連れ去った。
望みを失い心も虚ろな治兵衛は、新地の小春に会いに行く。小春はおさんから「夫の命を助けて」の文をもらい、その辛さを思って別れる決心をしたと話し、治兵衛も事のいきさつを話して、二人で何にも縛られない世界に行こうと決意する。
そして夜明け間近、二人は俗世との縁を断つため髪を切り、義理立て不要と念じながら、治兵衛は河原で小春の喉首を刺し、自らは堤の鳥居で首を吊り、二人は心中を遂げた。

《感想》冒頭、映画制作の舞台裏が映され、監督と富岡氏(脚本)の電話音声が重なって、映画という“虚構の世界”を宣言するかのように始まる。
続いて現れるのが、古い伝統を踏まえながら、現代アート風でもある斬新なセット。加えて黒子が登場し、舞台転換も含め人形浄瑠璃の実写版といった世界を映し出す。
低予算という制約を逆手にとって極力シンプルに、だが格調高い様式美を備えていて、実験映画の趣きがある。己が美学に徹しながら、その中で新しいものを模索している感もある。
内容は近松心中ものよろしく、愛し合いながらも浮世の義理と金のしがらみに縛られ、意地と嘘とがもつれ、世間体を憂える叱咤の声にも押されて、二人は悲劇へと追い込まれていく。
ラスト、堤に突如鳥居が現れ、黒子によって男の首吊りがお膳立てされ、黒子が踏み台をけ飛ばし“早く死ね”と急かすかのような所作に、これが世間の冷たい目なのかもと思えてくる。
黒子が傍観者然とアシストすることの意味、遊女と女房の一人二役がもたらすもの、いろいろと深読みを誘う。
美術粟津潔、撮影成島東一郎、音楽武満徹、そして脚本に富岡多恵子が加わって、それぞれの思いがぶつかり合って生まれた研ぎ澄まされた世界、そんな気がする。この時代のATGが持っていた息吹かも知れない。
その斬新さは今もって色褪せていない。

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投稿者: むさじー

名画座通いの昔からネット配信の現代まで、温故知新、共感第一、ジャンル無節操、が映画選びのモットーです。 映画を通して人生を見つめたい、そんな思いで“映画の旅”をしています。