『田舎の日曜日』ベルトラン・タヴェルニエ

家族が集い噛みしめる老いと孤独

《公開年》1984《制作国》フランス
《あらすじ》1912年秋。パリ郊外の田舎に住む老画家ラドミラル(ルイ・デュクルー)は、家政婦メルセデス(モニーク・ショメット)と二人暮らしだが、今朝はパリに住む息子のゴンザグ(ミシュエル・オーモン)一家が来るため、心待ちにしている。
駅で迎えるつもりのラドミラルだったが、道の途中で出会ってしまい、脚の衰えを感じていた。ゴンザグと嫁のマリー・テレーズ(ジュンヴィエーヴ・ムニック)と孫娘ミレイユと孫息子二人が訪れて、急に賑やかになる。
皆でお酒を飲みながらの昼食をとり、ラドミラルが庭で午睡していると、滅多に訪ねてこない娘イレーヌ(サビーヌ・アゼマ)が最新型自動車を運転して、愛犬キャビアと共にやって来た。
パリでブティックを経営する彼女はまだ若々しく美しく、久しぶりの実家でリラックスするが、電話を気にしているようで落ち着きがない。未婚の彼女は恋人からかかってくるはずの電話を待っているようだ。
庭で遊んでいた孫たちは田舎の遊びに飽きてきている。そんな時、ミレイユが木に登り降りられなくなるという騒ぎが起こるが、ゴンザクの手で何とか救い出された。
すると今度は、電話がかかってこないことに苛立ったイレーヌがパリに帰ると言い出す。娘をなだめて、自分のアトリエに招いたラドミラルは絵を見せながら娘とのひとときを過ごす。
ラドミラルは数年前まで風景画を描いていたが、最近はアトリエの中のオブジェを描くように変わっている。彼は述懐する。
「自分は独創性に欠けているからゴッホやセザンヌにはなれない。手法を変えていればという後悔もあるが、もっと自分らしさを失っていたかと思う。自分の可能性を信じたかった。モーゼは死に際し、大切なものを理解し愛したから悔いなく旅立ったという。」
イレーヌは、父の抱いた苦悩と現在の心境を理解した。屋根裏部屋でかつて父が描いた風景画を見つけ、そこに秘めた情熱に感動する。
イレーヌに誘われてドライブに出たラドミラルは、森の中のレストランで妻の思い出をしみじみと語り、イレーヌの誘いで二人は踊った。
二人が家に戻るとパリからの電話が彼女を待っていた。その直後、あわただしく帰る娘を父はそっと送り出した。
夕食を済ませ、ゴンザク一家を駅で見送ったラドミラルは、アトリエに入って自分の手をじっと見つめた。おもむろにイーゼルの描きかけの絵をはずし、真新しいキャンバスに換えた。

《感想》久しぶりに親子三代が集い、穏やかな木漏れ日の中で、ゆっくりと時間が流れていく。そんな一日が描かれ、やがて家族間の微妙な距離が見えてくる。
息子は家族に恵まれながら、画家になる夢を諦めたことを後悔していて、その律義さゆえ義務でもあるかのように毎週顔を見せるが、それ以上に心が通い合うことはない。
未婚のまま自由に生きてきた娘は、父親を愛してはいるが、それ以上に仕事と交際中の恋人の方が大切で、恋が成就すれば一層疎遠になるだろう。
そして老画家は家政婦と二人暮らしだが、いつ捨てられるか分からないという不安を抱えている。
この映画は穏やかだが、決してホノボノとはしていない。老境にある者の孤独と寂寥感の方が強く印象に残る。
夕刻になって皆が帰り、一人残された老画家は、自らの老いと孤独を噛みしめながら言う「まだ日が落ちていないのに、なぜ鎧戸を閉めるのか」と。
そして真新しいキャンバスに向かう。創作こそが生きている証である、と改めて思いながら。
最初と最後に現れる、無邪気に遊ぶ少女らの姿は何を意味するのか。
現実の子どもは、池のアヒルに石を投げ、虫を残酷に殺す、決して優しく純粋無垢な存在ではない。この少女らは老画家の思い出の中の子ども像で、きっと幻想なのだろう。
老人が人生を振り返り、その哀歓に浸る、味わい深い映画ではある。
そして印象派の絵画を思わせる美しい映像だが、“秋のたそがれ”のような寂しさが漂っている。

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投稿者: むさじー

名画座通いの昔からネット配信の現代まで、温故知新、共感第一、ジャンル無節操、が映画選びのモットーです。 映画は時代と人生を映す鏡。心に響くドラマを求めて、“映画の旅”を楽しんでいます。