記憶を失くした悪人と聖女を巡るノワール
《公開年》1994《制作国》アメリカ
《あらすじ》ニューヨークの路地に血を流し倒れていた男トーマス(マーティン・ドノヴァン)は、死んだかと思われたが、やがて起き上がり近くのカフェに入った。
男は自分の過去が分からないようで、そこにいた客のイザベル(イザベル・ユペール)は、彼を自分の家に連れ帰ることにする。彼女は、長年修道院で暮らしていたが、色情狂だというマリア様のお告げで、現在はポルノ小説を書いていて、彼にセックスの相手をして欲しいと頼んだ。
その頃、ソフィア(エリナ・レーヴェンソン)は友人の会計士エドワード(ダミアン・ヤング)に事のいきさつを話していた。彼女はトーマスに12歳から麻薬を強いられ、ポルノ女優をさせられていて、そんな夫から離れて人生をやり直そうと、彼を窓から突き落としたと告白する。
更に彼女は、トーマスが犯罪組織のボス、ジャックがやっている武器取引の実態と、組織と政界の繋がりを暴露するフロッピーディスクを持っていて、それをネタに、彼に代わってジャックを脅迫していた。
しかしジャックは、殺し屋二人を送り込んで脅迫者を殺そうと動き、トーマスの仲間だったエドワードを誘拐して、トーマスの行方を聞き出そうと拷問にかける。
トーマスの世話をしていたイザベルは、偶然ソフィアが出演しているポルノ映画を観て、最近彼女を映画館で見かけたことを思い出し、またトーマスが寝言で彼女の名前を呼んでいたことから、彼女の住所を調べ、そのアパートへ向かった。
トーマスとイザベルがそこに着くと、フロッピーを探しに来たソフィアが現れ、すぐに彼女を追って殺し屋2人組も部屋に侵入し、5人が部屋で鉢合わせをする。乱闘の末、トーマス、イザベル、ソフィアの3人は脱出に成功し、車でエドワードが用意した隠れ家へと向かった。
その頃、電気ショックで拷問されたエドワードは精神に異常をきたしていて、街中で暴れまわった末に警察に逮捕される。更に警察でも暴れ出し、拳銃を奪って逃げる際に警官を撃ってしまうが、パトカーを奪って隠れ家に向かった。
隠れ家で4人は出会い、殺し屋との銃撃戦になって、殺し屋を射殺するものの、ソフィアが怪我をしてしまう。
イザベルは怪我をしたソフィアの手当てのため、かつて居た修道院に彼女を運び込み、ソフィアはそこでイザベルだけにトーマスの素性を明かした。
やがて警察が修道院へと迫り、その中から拳銃を持って現れたトーマスをエドワードと勘違いして射殺してしまう。歩み寄ったイザベルは、「その男を知っているか」の警官の問いに「よく知っているわ」と答えた。
《感想》長年の尼僧生活からポルノ作家に転じた女性イザベルは、記憶を失くした犯罪組織の男トーマスを拾って介抱し、トーマスを憎む妻のポルノ女優ソフィアは組織の金を横取りしようと企てて命を狙われ、人生につまずいた3人が複雑に絡み合って展開する。
人はときに変化を願ったり、変化を余儀なくされることがある。
トーマスは記憶を失くしたことで人生のリセットを強いられ、ソフィアは夫の記憶喪失によって念願だった完全な決別ができたが、それでは聖と俗の間を行き来するイザベルの変化はというと、トーマスとの関わりによって“愛”という不可解なものに出会ったこと。
“救いたい”という聖女の思いから、俗世の女性らしい感情が芽生えていく、そんなイザベルの愛こそ本作のテーマであり、タイトルの由来と解した。
誰もが人生を歩むことに不慣れなアマチュアで、その不器用さが愛おしい。
ラスト、イザベルは警官の問いに「(男を)よく知っているわ」と答えるが、そこには確かに男を愛していたという特別な感情が込められ、流れたのは別れの涙だった。
突き放すような何とも意味深な終わり方だが、純粋で何も知らないイザベルにとって、男の悪しき過去を知ってなお、そのまま愛そうとした自分がいて、愛したことを胸にこれから生き直そうとする決意が見える。
ポルノ作家を続けるのか、尼僧に戻るのか、どう生きるのかも観客に委ねてしまう潔さ。
混沌として予測不可能で、緩めでポップなノワールだが、多様な解釈を許して深読みを誘う。一筋縄ではいかない。
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