『棒の哀しみ』神代辰巳 1994

内省的ヤクザの愚痴と寂寥

棒の哀しみ

《あらすじ》あるカジノ店。ヤクザの大村組若頭・田中(奥田瑛二)は、バーテンと女性客にからみ、店内で暴れて警察に拘束される。
事情聴取後に釈放された田中は、舎弟分に当たる倉内(白竜)と電話で、敵対する大川組との抗争について話す。組長の大村にも電話をするが、組のために8年間も刑務所暮らしをしてきたのに、危険な仕事ばかり回してくる大村を田中は良くは思っていない。
策士でもある田中は、組を裏切ろうとした子分を使って大川を重傷に追い込んだ。しかし大村は田中に組を作るよう命じる。大村は上納金が目当てで、跡目は若い倉内に譲ろうとしていた。
大村の考えを見通していた田中は、子分の杉本(哀川翔)に愚痴を漏らす。
そんな折り大村は倒れて、言葉もろくに喋れない状態になり、それにつけ込むかのように、敵対する大川組が本家を挑発する。
本家からの応援要請を受けた田中は、大村と倉内を見返そうと、シャブのルートを守ることが最も大事だと言って、抗争の応援を拒否する。
そして、組を裏切った梶田にわざと自分を刺すようにけしかけ、大川組の鉄砲玉にやられたことにする。田中から連絡を受けた倉内は、なぜ拳銃を所持しなかったと問い、シャブの現場は拳銃も持てない危ない仕事だとアピールする田中に倉内は謝り、田中は本家に貸しを作って、抗争の中心から逃れることに成功した。
新たなシャブのルートも開拓し、田中の稼ぎはどんどん大きくなっていき、一方では飲み屋のツケの取り立てなど小さい仕事もしていた。
レストランで働いていた洋子という女を、情婦の一人、芳江(永島暎子)に預けシャブ漬けにさせた。やがて自分の役に立つ女になるだろうと。
芳江と田中の関係も奇妙だった。芳江は、田中が女を連れてくることを歓迎してシャブ漬けで快楽を覚えさせ、田中に対しては血を見ると興奮し、傷を舐め回す異常性癖を持っていた。
仕事が全て順調に進んで田中は述懐する。棒っきれのように生き棒っきれのようにくたばる人生と思っていたが、今の俺はツキ過ぎている。不満がなくなるとどうなるか怖い、と。
大村が死んだ日の夜。洋子の男だと名乗る男が田中の前に現れ「洋子を返せ」とナイフで田中を刺して逃げ去っていく。
田中は再び自らの傷を縫い、その傷に芳江は興奮するのだった。
葬儀の日。田中の乗るベンツを運転しているのは、昨夜田中を刺した男だった。
葬儀の控室で、隣には倉内が座っている。田中がくわえた煙草の火を倉内が点ける。田中は煙をくゆらせ、微かに笑みを浮かべた。

《感想》組長から疎んじられているヤクザが、冷静に周囲を見て策を弄し、自ら率いる分家を大きくして、秘かに本家を見返していくストーリー。
見た目は電気会社の課長で細かいことに精を出し、内には狂気(とマゾ傾向)を秘めている主人公のキャラが秀逸だ。
几帳面に砂時計で計りながら電話し、部屋はやたら丁寧に掃除し、スーツのほつれは自分で繕い、刺された傷も自分で縫い合わせてしまう。そして愚痴が多い。
不幸ではないが幸せとも思えず、不満はなくなってきたが、どこか居心地の悪さを覚えている。
水槽の中でしか生きられない金魚の哀しみか。それとも、追い抜いた後輩に嫉妬し、出世を画策するサラリーマンの哀愁か。「俺は何をしたかったんだろう」と自問自答する。
神代演出は、何気ない男女の行為に緩さと危うさが同居していて、どこか倦怠感と虚無感を滲ませ、笑いの中に痛みを宿している。
テレビ画面に映し出されたのは『恋人たちは濡れた』の死に向かうラストシーン。思い入れの強い作品だろうし、そこに自らの死と遺作になるだろうと予感した監督自身の寂寥感を見てしまう。
ただ愚痴を言うならば、2時間超、腹斬り2回の間延び感は否めない。

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投稿者: むさじー

名画座通いの昔からネット配信の現代まで、温故知新、共感第一、ジャンル無節操、が映画選びのモットーです。 映画は時代と人生を映す鏡。心に響くドラマを求めて、“映画の旅”を楽しんでいます。