船とピアノに生きた男の寓話
《公開年》1999《制作国》イタリア
《あらすじ》第二次世界大戦の終戦直後。トランペット奏者のマックス(プルイット・テイラー・ヴァンス)は、愛用のトランペットを金に換えるため楽器店を訪れ、最後に一度だけと吹かせてもらうと、そっくりなピアノ曲のレコードが店にあって、マックスは1900と呼ばれたそのピアニストのことを語り始める。
その昔、大西洋を横断する豪華客船ヴァージニアン号の機関士ダニー(ビル・ナン)は、船内で赤ん坊を拾い、生年にちなみ1900と名付けて大事に育てたが、8年後、不慮の事故でダニーは死んでしまう。彼の葬儀に流れた音楽に惹かれたかのように、1900は自然とピアノを弾き始めた。
1927年、成長した1900(ティム・ロス)は、嵐の夜に船酔いで動けないマックスに出会ったことがきっかけで、バンドのピアニストとして演奏する機会に恵まれ、今まで誰も聴いたことのないその音楽の噂は瞬く間に広がった。
その噂はジャズ界の巨匠ジェリー・ロール・モートンの耳にも入り、ピアノ決闘を挑まれるが、奇跡のような演奏で1900は彼に勝った。
彼の噂を聞いたレコード会社が音源にして売り出したいと録音に訪れ、演奏を始めて何気なく窓に目をやると、美しい女性(メラニー・ティエリ―)がそこに見えて1900は一目惚れする。
録音が終わると、1900は契約を破棄してレコード原盤を持ち去り、彼女の元に向かうが、行動には移せなかった。そして、彼女が船を降りる時になってもレコードを渡せず、1900はレコードを割って捨てた。
やがて1900は彼女に会うために船を降りることを決意し、仲間の見送りを受けてタラップを降り始めるが、途中で船に戻ってしまう。それから月日が経ち、マックスも船を降り、1900だけが船に残った。
1946年、楽器店主から、戦争で朽ち果てたヴァージニアン号が爆破解体されると聞いたマックスは、船内にまだ1900が残っていることを必死に訴え、強引に入船する。捨てられた1900のレコードはマックスの手で補修され、ピアノに隠され楽器店主の元に渡っていた。
しかし、いくら探しても船内に1900の姿はなく、店主から借りたレコードを流して待つと、暗がりから1900の姿が現れる。マックスは船から降りて一緒に音楽をしたいと説得するが、彼はこう語った。
「船という限られた鍵盤の中なら無限の可能性を表現できるが、陸という無限の世界に出たら何を選べばいいのか分からない。僕は船を降りない。だから人生を降りるしかない」と。マックスは返す言葉がなく、船を降りた。
そして船は爆音と共に海に沈んでいった。話を聞き終えた楽器店主は、去り行くマックスにトランペットを返して見送った。(イタリア完全版を鑑賞)
《感想》船で生まれ、生涯船を降りずに音楽のみで生きた、浮世離れした男の不思議な物語。
一度はある女性に淡い恋心を抱き、船を降りようとしたが、途中で目に入ったのがニューヨークの高層ビル群。彼は立ち止まり、賭けるかのように(?) 帽子を投げると陸ではなく海に落ちて、彼は船へと引き返した。
多くの人がニューヨークに求めたのは自由と夢のはずなのだが、彼に見えたのは恐怖であり、降りる勇気がわかず、結局、船と共に沈む道を選んだ。
この寓話をどう解釈したらいいのだろう。
可能性に満ちた広い世界より自分の居場所がある小さな空間の方が幸せということか、勇気がなくて最初の一歩が踏み出せない人間の悲哀なのか。
だが監督自身、決して1900が選んだような限定的人生を肯定している訳ではなくて、本当は街に降りて欲しかったろうし、それでも各人が選んだ人生を肯定したい、そんな思いの描き方だったように思う。
『ニュー・シネマ・パラダイス』の中にも、「人にはそれぞれ従うべき星があって、それぞれの道を行くべき」と諭す“かなわぬ恋の寓話”があるが、似たようなメッセージではないかと。
全編音楽する喜びに満ち、船の揺れと共に動くピアノでの演奏はファンタジーのようで、ジャズ界の巨匠とのピアノ決闘はスリリングという、美しい音楽に彩られた映画だし、深く心に染み入るヒューマンドラマである。
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