『鉄砲玉の美学』中島貞夫 1973

ATGで描く東映風チンピラの青春

《あらすじ》高速道路が走り、物の豊かさを享受し始めた高度成長期の大阪。暴力団天祐会のチンピラ小池清(渡瀬恒彦)は、日頃は飼育ウサギの販売を手掛けるテキヤだが金にはならず、賭け麻雀は負け続きで、風俗嬢の情婦の居候になっている。
そこへ組幹部から「現金100万円で鉄砲玉に」の話が舞い込み、即引き受けた清は現金と拳銃を渡された。鉄砲玉が敵地で暴れて殺され、一気に戦争という算段だ。
行き先は九州・宮崎で南九会の縄張り。恐怖と緊張で全身を強張らせながら精一杯傍若無人に振舞うが、敵は静観の構えらしく反撃の気配がなく、酒も女も好き放題という日々が過ぎる。
しかし、敵のチンピラ(川谷拓三)に追い回されてヒヤヒヤし、隠れては殺される恐怖に泣き出す始末。敵は諍いを起こしたくないと思われるが、組幹部からは「早く暴れろ」と催促される。
そこへ南九会幹部・杉町(小池朝雄)の情婦・潤子(杉本美樹)が近づいてくる。その時々の権力者、最高の男性に惹かれるという言葉に気を良くした清は、何も疑わず愛人気分で、鏡に向かって決めポーズをし「最高に生きるとはこういうこと」とつぶやく。
清と潤子は観光気分で霧島に行こうとするが、清の24歳の誕生日に、電話を受けた潤子が突然消えた。そうこうしているうちに、敵もバックを付けて応戦準備が完了したのだ。
大阪の情婦が現れて雲行きが怪しいと聞き、組に問い合わせると「戦争が終わって手打ちだから帰れ」と言われ、清は行き場を失ってしまう。
自棄になった清は、霧島に一緒に行くという情婦の言葉を遮り、かつて危機を救った新婚の女に誘いの電話をして家に出向くが、彼女は警察を呼んでいて逮捕されそうになる。
清はとっさに取り出した拳銃を発砲して警官に傷を負わせ、自らも腹を撃たれ廃車置き場へと逃げ込んだ。そこからは遠く霧島が見えた。
観光客を乗せて霧島に向かうバスの中、具合の悪そうな客にバスガイドが声をかけると、窓に寄りかかったその男、清は血を流し既に事切れていた。

《感想》ドン詰まりの生活から這い上がろうと、鉄砲玉になって敵地に乗り込んだチンピラは、100万円と拳銃を手に“男を上げた”と得意になるが、虚勢を張っても冷徹にはなれず、恐怖からは逃げられずに追い詰められていく。
あげくに“戦争は終わり”と梯子を外され、鉄砲玉の役目を果たせないまま行き場を失って、自棄を起こして思いがけない死を迎えてしまう。
高度成長期の喧騒に頭脳警察のロックが流れ、街頭でウサギを売るテキヤの口上から始まって、ウサギが食べるニンジンの色と男の鮮血が重なるエンディングまで、飼われたウサギのような若者の破滅型青春が描かれる。
軽いテイストは同監督が東映で撮った『893愚連隊(1966年)』に近いが、同作に漂うアッケラカンとした雰囲気ではなくて、どこか儚くて切ない空気が流れる。
それはアメリカン・ニューシネマ風でもあるのだが、玉砕するとか蜂の巣にされるとかではなくて、粋がり勝手に滅んでいく若者の中途半端さがカタルシスを放棄して、複雑な余韻を残している。
欲を言えば、組織ヤクザの内実や嘘を暴き、深く絶望して欲しかったという気もするが、任侠路線から実録路線の過渡期に作られた本作では、その先駆けとなる“無残な青春”を描きたかったのかと思うし、ATGの路線でもあったのだろう。
大傑作ではないが、B級映画に徹した面白さと独立プロの気骨が見える。

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投稿者: むさじー

名画座通いの昔からネット配信の現代まで、温故知新、共感第一、ジャンル無節操、が映画選びのモットーです。 心に響くドラマを求めて、映画の中の人生をあちこち旅しています。