身勝手で不可解な家族の物語
《公開年》2019《制作国》イタリア
《あらすじ》ナポリの裁判所でアラビア語の通訳をしているシングルマザーのエレナ(ジョヴァンナ・メッゾジョルノ)は、心筋梗塞で倒れた父ロレンツォ(レナート・カルペンティエリ)が入院する病院を訪ねる。しかし、父は娘の問いかけには答えず、娘は悲しげにその場を去った。
ロレンツォは、退院し帰宅した時、隣に越してきた女性ミケーラ(ミカエラ・ラマッツォッティ)に出会う。その隣室とはバルコニーで繋がっていて、元弁護士の彼はかつて家族と共に住み、隣室も彼の持ち家だった。
しかし、妻が亡くなり、険悪な関係のまま大人になった子どもたちとは、家を出ても関係は修復されず、孤独な日々を送る彼にとってミケーラは救いになり、良い友人関係を築いていった。
ミケーラには、夫のファビオ(エリオ・ジェルマーノ)と二人の子どもがいて、子どもたちと親しくなったロレンツォとは、お互いの家を行き来し合う疑似家族のような関係になる。
エレナは、母の死の原因が父の裏切りによるものと信じ、父を許せないでいるが、ロレンツォは娘の一人息子を時折連れ出し一緒に過ごしている。
ある日、街のカフェでファビオ一家を見かけ、アフリカ系移民の物売りから執拗に迫られたファビオが激高して男に掴みかかる場面に遭遇し、ロレンツォは止めに入って落ち着かせた。
ファビオ一家との交流が一層深まったある日、ロレンツォは船好きの孫を連れて、ファビオの職場である造船所を訪れ見学をした。
そこでファビオは、「町や人に馴染めない。子どもへの接し方、愛し方も分からない」と打ち明ける。友人関係が理解できず、社会に適合できない悩みを抱えていた。
そんなファビオは町の雑貨屋でおもちゃの消防車を見つけ、自分が子どもの頃に持っていた物と欲しがるが、店主から売り物でないと拒絶される。
そして事件が起こる。自宅に戻ろうとしたロレンツォは、周辺に止まった無数のパトカーと救急車に驚き、アパートに入ると子どもの遺体と思われる黒い袋が二つ運ばれてきて、ファビオ家には銃を持った彼の遺体があった。
ファビオの銃による一家無理心中だった。妻ミケーラは危篤状態で入院していて、ロレンツォはミケーラの父と偽って、病室に入り浸るようになる。
そして出会ったファビオの母から「彼は昔、親友を崖から突き落としたことがあり、それ以来両親は彼を庇い続けたが、結局救えなかった」と聞き、ロレンツォは「愛人を作り、悩んだ妻が寝込んで亡くなった」ことを告白する。
素性がばれて病室に入れなくなったロレンツォは、ロビーで居眠りをし、笑顔のミケーラに会うが、それは夢で、目覚めて確認したのはミケーラの死だった。そしてロレンツォは行方不明になる。
エレナは心配し、父の元愛人宅を訪ねるが行方は知れず、すると裁判所で仕事をする彼女の元に突然ロレンツォが現れる。ベンチに座り、父が娘の手をそっと握り、娘は強く握り返した。
《感想》家庭を顧みず家族との間に亀裂を作った老父と、すれ違ったままの娘の確執、そんな孤独な老人をまるで家族のように迎え入れる善良な隣人一家の交流が描かれる。
主人公ロレンツォにとって実の家族を崩壊させたのは傲慢さから、隣家は他人だからこそ優しくできるのかも知れない。人間のエゴを静かに見つめ、家族の繋がりとは……と考えさせられる。
だが映画はそれだけで終わらず、心に闇を抱えた隣家の夫が事件を起こす。
男が情緒不安定であることは語られるが、事件の引き金となった動機には触れず、この惨劇自体をサラリと流して、映画の視点を生き残った男の妻とそれに付き添う老父のドラマに移している。これが不可解。
主たるテーマでないのは分かるが、周辺の描き方が少し散漫ではないか、という印象を持った。
生き辛さを抱えた人がいて、その異常行動に寄り添わなければならない家族の苦悩がある。そこにも目を向けて欲しかった。
老父も隣家の夫も、“帰る場所がない”ことは同じで、それは又、現代社会が抱えている孤独や病理の問題でもある、という気がするから。
ラストは切なくも温かい、家族ドラマの余韻で締められているが、モヤモヤ感が残ってしまった。
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