『シティ・オブ・ゴッド』フェルナンド・メイレレス

狂乱の街の鮮烈な青春

シティ・オブ・ゴッド

《公開年》2002《制作国》ブラジル
《あらすじ》1960年代のブラジル・リオデジャネイロのスラム街、通称「神の街」では、貧困から抜け出そうとする若者たちの犯罪が横行していた。
そんな中、まだ少年のリトル・ダイスは、年長のチンピラ三人組と組んでモーテル襲撃事件に加わり、頭角を現していく。
一方、暴力が苦手な優しい少年ブスカペは、カメラマンになる夢を抱いていた。
1970年代、17歳になったブスカペ(アレシャンドレ・ホドリゲス)は遊び仲間のアンジェリカに恋をし、彼女のために元同級生の売人ネギーニュからマリファナを買うが、その元締めはセヌーラというギャングだった。
その頃、リオに舞い戻ったリトル・ダイスはリトル・ゼ(レアンドロ・フィルミノ・ダ・オーラ)と名を変え、相棒ベネ(フェリピ・アージンセン)と組んで麻薬ビジネスを始め、敵対する勢力を次々と抹殺し勢力を拡大していった。
そして神の街を牛耳るボスに上り詰めたリトル・ゼは、麻薬を安全に売買できるように強盗や殺人を禁じ、掟を守らない者は容赦なく殺し、警官も買収していく。目障りなネギーニュとセヌーラも排除したかったが、穏やかな性格のべネが仲裁し見逃されていた。
やがてベネはアンジェリカと恋に落ち、彼女の希望で犯罪から足を洗って、街を出ることにする。開かれた送別会でベネは、親友を失うことに納得できないリトル・ゼと喧嘩になり、その時会場でひそかにリトル・ゼの命を狙っていたネギーニュが発砲し、間違えてベネを射殺してしまう。
怒りが爆発したリトル・ゼは、ネギーニュとセヌーラを殺しに行くその途中で、自分を振った女をレイプし、その彼氏の元軍人マネの家を襲撃してマネの家族を殺害した。
一方、セヌーラは暗殺に失敗したネギーニュを殺し、リトル・ゼに復讐心を持つマネを仲間に引き入れる。射撃に長けたマネがリトル・ゼの部下を射殺したため、リトル・ゼ対セヌーラの抗争が始まる。
堅気だったマネも、セヌーラと悪事を繰り返すうちに正義感はマヒして抗争は激化し、警察に逮捕された際、ギャングの首領としてマスコミに紹介され有名になった。
これが面白くないリトル・ゼは、新聞社でカメラマン見習いを始めたブスカペを呼び出し、自分たちの写真を撮らせ、それが新聞の一面を飾る。
更に新聞社の要請を受けたブスカペは、決死の覚悟で両陣営の銃撃戦を取材する。この抗争でマネは命を落とし、リトル・ゼとセヌーラは逮捕される。
リトル・ゼは警察に賄賂を掴ませて釈放されるが、その直後、子どもギャングたちに射殺され、その一部始終を撮影したブスカペの写真は又も新聞の一面を飾った。
両陣営が消えた神の街では、新たな子どもギャングたちが台頭しつつある。



《感想》このスラム街「神の街」を舞台にした群像劇は、非常に多くの人物が目まぐるしく交錯するが、三つの視点に分けられるかと思う。
1)ギャング仲間の友情と対立、組織抗争の物語。
凶暴な男は容貌にコンプレックスを持ち、穏やかな男は恋人と堅気になろうとして対立する。二人は“グッド・フェローズ”のはずだったが、永遠の別れを迎えてしまう、切ない青春。縄張り抗争も世代間抗争も厳しい。
2)生きるため悪事に走るストリート・チルドレンの物語。
子どもが銃を持って殺し合い、麻薬に手を染め、強盗を繰り返す。暴力に疑問を持たず、銃はまるで玩具のようで、子どもの無知と無謀さが恐ろしく、大人の犯罪以上に痛々しく不憫に思える。
3)写真家を夢見た若者が社会を変革していく物語。
まともな仕事はなく、ギャングになるのが生きる道というスラム街で、生きる目標を見つけ、呪縛から飛び出そうと必死に生きる若者。躍動する青春への賛辞でもある。
神の街に住む彼らにとって、生きるとは生き残りを賭けた闘いで、凄惨な事件の連続なのだが、彼らの疾走、暴走する様からは“強烈な生命力”がほとばしり、心動かされる。
実話に基づくというが、かなりエンタメ性を加味した脚色で軽やかに展開する本作は、衝撃と面白さが同居した傑作だと思う。

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投稿者: むさじー

映画レビューのモットーは温故知新、共感第一、良品発掘。映画は広くて深い世界、未だに出会いがあり発見があり、そこに喜びがあります。鑑賞はWOWOWとU-NEXTが中心です。高齢者よ来たれ、映画の世界へ!