『ホテル・ムンバイ』アンソニー・マラス

テロの恐怖を描く戦慄の実話ドラマ

ホテル・ムンバイ

《公開年》2018《制作国》オーストラリア、アメリカ、インド
《あらすじ》2008年11月、インドのムンバイ。ボートで上陸した若者の一団は、タクシーに分乗すると駅やホテルなど人が集まる場所へと向かう。彼らは各々のターゲットを攻撃するよう、扇動的な命令を受けていた。
その日、タージマハルホテル従業員のアルジュン(デヴ・パテル)は出勤してVIPの客を迎える準備に加わっていた。また、アメリカ人のデヴィッド(アーミー・ハマー)と妻のザーラ(ナザニン・ボニアディ)、赤ちゃんと子守のサリーはVIP客として迎えられた。
程なくムンバイのCST駅では銃を持った男たちの無差別乱射が始まり、一部は出動したパトカーを乗っ取って混乱させ、町のカフェも銃乱射で襲われて、人々は逃げ惑う。
テレビではテロのニュースが流れ、逃げ場を求めた人々がホテルに殺到し、従業員はそれを迎え入れるが、その中にテロリストも紛れていた。
すぐにロビーでの銃撃が始まり、レストランもパニックになり、食事中のデヴィッドは部屋に残したサリーに電話をするが、彼女には状況が理解できない。
次々客室を回るテロリストはサリーの部屋に侵入するが、赤ちゃんを泣かせないようにして隠れ、赤ちゃんが心配なデヴィッドはテロリストの目を逃れて部屋に向かい、ようやくたどり着いた。
この事態に対処すべき特殊部隊は1300キロ離れたニューデリーから派遣されるため、それを待つしかなく、数少ない地元警察が乗り込むが、テロリストに殺されてしまう。
一方レストランにいるアルジュンには、料理長オベロイ(アヌパム・カー)から、見つかりにくい6階ラウンジに来るよう連絡が入り、アルジュンは数十人の客を誘導して無事到着した。
しかしラウンジに集まった宿泊客と従業員はみな不安にかられて情緒不安定で、オベロイは、従業員に残ることを強要しないと伝えて、客を守ることを選んだ従業員だけを残した。
妻ザーラからラウンジにいると連絡を受けたデヴィッドは、サリーと共にラウンジに向かうが、テロリストに遭遇し、サリーは隠れたものの、デヴィッドは人質になってしまう。
一方ラウンジの客もいずれ部屋のドアが爆破される危険を察して脱出したいと言い出し、夫や子との再会を望むザーラもそれに加わるがロビーでテロリストに捕まり、人質となってデヴィッドに再会する。
そして人質のデヴィッドはザーラの目前で殺され、ザーラも銃を向けられるが、泣きながらコーランを唱える彼女がイスラム教徒と知り、動揺したテロリストは彼女を残して立ち去った。
オベロイもラウンジに留まることに危険を感じ、テロリストのラウンジ襲撃の前に客を外に脱出させようと誘導して成功し、治安部隊に迎えられる。
テロリストは一人を逮捕し、それ以外は全員殺害され、救出されたザーラは無事サリーや赤ちゃんと再会できた。



《感想》2008年に起きたムンバイ同時多発テロで、ホテルに閉じ込められた宿泊客と、それを救おうとしたホテルマンを描く群像劇だが、一方でテロ実行犯であるイスラム過激派若者の心情や葛藤が描かれ、むしろ彼らの行動の源の方が気になった。
神を信じる若者がなぜテロに走ったのか。
「異教徒に騙され貧しくなった」「相手は人間ではないから神の慈悲はいらない」という首謀者の声に従い、神の使命と信じて疑うことを知らなかった。
しかし、ホテルに入った途端、彼らはその文化の違いと豊かさに驚く。仲間に知られないようこっそり家族に電話して号泣する。同じイスラム教徒を前にして殺害の信念が揺らぐ。彼らも人の子であり、純粋であるが故に無知、そして背景に貧困が潜んでいることを否定できない。
物質的豊かさを否定し、憎悪し、神の名の下に天国へと洗脳され、神と家族のために戦闘員として利用された彼らもまた被害者である。
テロリストによる無慈悲な殺戮と、罪の無い人々の無惨な死が淡々と描かれ、全編緊張感に満ちていて、何度も観たくなる映画ではない。
だが根底には善悪を超え人間の本質に迫ろうとする真摯な姿勢が見え、鑑賞後に、平和とか幸福とか、あれこれ考えさせられる映画である。

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投稿者: むさじー

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