純な心が世を変える、風刺と哲学の寓話
《公開年》1979《制作国》アメリカ
《あらすじ》庭師のチャンス(ピーター・セラーズ)は長年仕えてきた屋敷の主人が亡くなったことを家政婦のルイーズから知らされるが、知的障害があり、庭仕事以外はテレビばかり見ている彼は、当主の死の意味を理解できないでいる。
やがてルイーズが去り、チャンスも代理人の弁護士から立ち退きを迫られた。
チャンスはトランク一つで屋敷を後にし、街をさまよい歩いていたところ高級車に接触し、乗っていたイブ(シャーリー・マクレーン)から治療を家ですることを勧められ、辿り着いた大邸宅に滞在することになる。
そこの主人ランド(メルヴィン・ダグラス)は資産家で財界の大物だが、病気療養中の不自由な身で、話し相手をするうち、チャンスの穏やかな物腰と実直さが気に入り、大統領との面会にも同席させるようになった。
大統領に対し、自分の知る範囲の庭木や植物の成長を語るチャンスだったが、不況下のアメリカを立て直す暗喩のように勘違いされ、感心されてしまう。
大統領がチャンスの言葉を引用して経済政策にまつわるスピーチをしたことから、彼は一躍有名人になり、テレビ出演までするようになった。
大統領はチャンスの素性を調べるよう命じるが、身分証もなく、何の記録も残っていない謎の人物であることが分かる。
イブは心優しいチャンスに惹かれ、次第に男性として意識し始め、やがて猛烈にアプローチするが、女性への免疫がなく接し方が分からなくてためらうチャンスだった。しかしイブはそんな彼を意志の強い男と勘違いして、更に好意を寄せていった。
またランドは彼のお陰で死が怖くなくなったと言い、死を身近に感じる彼は二人が近しくなるのを好ましく思っていて、ランドの代理としてパーティーに出席するチャンスは、ランドの後継者と目されるようになる。
やがて容態の悪化したランドは、チャンスにイブのことを託して死んでいった。
ランドの葬儀が行われる中、参列者たちからはチャンスこそが次期大統領候補に相応しいと噂されるが、そんな話に無頓着なチャンスは、葬儀を抜け出して森の中をさまよい始め、(キリストのように)湖の上を歩いて去って行く。
葬儀で語られるランドの言葉「人生とは、心の姿なり」と重なってエンド。
《感想》知的障害のある庭師の話す素朴な言葉が、周囲には含蓄のある深遠な言葉のように誤解され、大物に支持され世間に迎えられていく。
彼には成長の過程で身につける欲とか価値という判断基準がなく、ピュアな優しさが周囲を惹きつけ、祭り上げられてとんでもない方向に展開する。
そして世間の思惑とは無縁なまま、湖上を沈むことなく歩き去って行く。
水上を歩いたという“キリストの奇跡”の逸話に基づくようだが、本作がキリスト教を批判したニーチェの著作を下敷きにしているので、ここでのチャンスを“超人”と解するか、イエスの再来と見るか、迷う。
正直よく分からないが、宗教か哲学かではなく、神に近い存在というだけで、その解釈の幅を許容しての表現なのだろう。
また「人生とは、心の姿なり」という言葉で締められるが、人の心の在りようが、その人の行いとなり人生となる。チャンスは“清廉”を示す偶像で、欲と虚飾に満ちた世の中の愚かさ、醜さを戒め、政治の裏側まで嘲笑している言葉のようにとれる。
いろいろ意味づけしたくなる映画だが、難しく考えずに役者陣の名演を堪能し、可笑しさ、楽しさに浸れればそれでいいと思う。
誰もがここまで都合よく勘違いするか? という突っ込みどころは多いが、このデフォルメこそコメディの妙味で、風刺を込めたやや哲学的ファンタジーになっている。
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