『バーバー』コーエン兄弟

世の不条理に翻弄された男の虚無

バーバー

《公開年》2001《制作国》アメリカ
《あらすじ》義弟の店で働く理容師のエド(ビリー・ボブ・ソーントン)は無口で、おしゃべりな義弟の横で淡々と仕事をこなしている。
妻のドリス(フランシス・マクドーマンド)はデパートの帳簿係をしていて、店長のデイヴ(ジェームズ・ガンドルフィーニ)とアン夫人を自宅に招いた折、エドはドリスとデイヴの浅からぬ仲に気付く。
ある日、クレントンという客が来て、ドライクリーニング店の出資者を探していると話して帰り、興味を持ったエドはクレントンに出資を申し出、必要な資金はデイヴを不倫ネタで脅し、1万ドルをせしめて支払った。
デイヴは、脅してきたのはクレントンだと思い込んでいる。
親戚の結婚式の夜、妻ドリスは泥酔して眠り、エドはデイヴに呼び出される。
デイヴはクレントンを脅して全てを聞き出し、脅迫犯がエドであるということを知っていて、ドリスに横領させて自分の店を出すつもりだったと話す。彼は雇われ社長だった。
怒り心頭のデイヴはエドの首を絞め、殺されそうになったエドは咄嗟に小型ナイフでデイヴの首を刺した。
翌日、刑事から、ドリスが横領と殺人容疑で逮捕されたと知らされる。
エドはドリスを助けるため、金はかかるが有能な弁護士を紹介してもらい、そのため義弟は店を担保に銀行からお金を借りた。
弁護士のリーデンシュナイダーは精力的に食べ働く男で、エドは一度、自分がデイヴを殺したと告白するが、妻をかばうためだと受け流される。
そして唯一の手掛かりになるはずだったクレントンはホテルから消え、行方知れずになっていた。
お金も妻も失いそうなエドの唯一の慰めは、懇意にしているウォルター家の娘、バーディ(スカーレット・ヨハンソン)のピアノで、彼女をプロのピアニストにする手助けを夢に掲げ、第二の人生を思い描いていた。
しかし判決の日、ドリスは首を吊り、裁判は免訴になってしまう。
義弟は失意とショックで酒浸りになって、店に来なくなり、エドが助手を雇って店を続けた。
そんなある日、検視官からドリスが妊娠3か月だったと知らされ、何年も夫婦関係がなかった彼にとって、妻の不倫を再確認することになる。
バーディがプロになる手助けを進めようと、エドは音楽の専門家を訪ねるが、彼女の演奏は行儀がいいだけで最低の音楽と酷評される。
その帰り、プロになる気のないバーディは落胆しなかったが、エドに感謝の気持ちを伝えようとキスを迫り、動揺したエドがハンドル操作を誤って、車ごと川に転落してしまう。
幸いバーディもエドも怪我程度で助かったが、エドはクレントン殺害容疑で逮捕されてしまう。クレントンの水死体が見つかり、遺品から彼のサイン入り契約書が出てきたためだった。
エドにはもはや高額有能な弁護士に依頼する金がなく、公選弁護人にはやる気がなく、エドの死刑が確定し電気椅子に送られてエンド。



《感想》人生あきらめモードで野心を持たない男が、チラリと見た夢から犯罪に手を染め、人生の歯車が狂っていく。
物語の中で、殺人・脅迫事件犯人とされる容疑者はみな冤罪で死を余儀なくされ、更に真実・真犯人は闇に葬り去られるという展開で、司法さえもずさんという、風化した正義の不条理を辛辣に描いている。
無口な主人公が独白する。「全体を見ると安らぎを覚える」と。
醒めた彼に見えた世界は、偽善に溢れ滑稽に映ったことだろう。全体が見えたのは彼しかいないのだから。
ラスト、自分の犯した罪で裁かれず無実の罪で死刑を宣告され、その死を静かに受け入れた男の胸に去来するものは何だったのか。
誰だか知らないがペテン師に仇討してくれた、自分の死刑は自業自得、ピアニスト支援の夢も消えた……。この世に心残りなしという、俗世からの解放感か。
このアイロニカルな視線とカタルシスを求めない作風。この監督の持ち味が最も発揮された一作であり、その後味の悪さをしっかりと噛みしめてみたい。
ベートーベンの『悲愴』が聴きたくなる。

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投稿者: むさじー

映画レビューのモットーは温故知新、共感第一、良品発掘。そして、世間の評価に関係なく私が心動かされた映画だけ、それがこだわりです。やや深読みや謎解きに傾いている点はご容赦ください。 映画は広くて深い世界、未だに出会いがあり発見があります。「いやぁ~映画って本当にいいものだ」としみじみ思います。