『バッファロー ’66』ヴィンセント・ギャロ

ダメ男と寄り添う天使の恋模様

バッファロー’66

《公開年》1998《制作国》アメリカ
《あらすじ》1966年ニューヨーク州バッファロー生まれのビリー・ブラウン(ヴィンセント・ギャロ)は、5年の刑期を終え出所するが、尿意を催してダンス教室に飛び込み、そこで実家の両親に電話をかける。
ビリーは両親に、政府の仕事をしていて結婚していると嘘をついていて、成り行きで妻を実家に連れて行く羽目になり、通りかかったレイラ(クリスティーナ・リッチ)を拉致して、自分の貞淑な妻を演じるよう脅した。
ビリーの父・ジミーは癇癪持ち、母・ジャンはアメフトチーム・バッファローの熱狂的ファンで、共にビリーには無関心なため、親子関係は殺伐としていた。
レイラは親子の空気が和むよう気を使うが、ビリーは文句ばかり言い続け、実家を後にしても、レイラはそんなビリーが放っておけなくなり、自ら彼と行動を共にする。
ビリーの今までの人生は最悪で、スーパーボウルのギャンブルに1万ドルを賭けて借金を背負い、ギャングに脅されて身代わりとして刑務所に入ったが、試合の裏には、アメフト選手スコットの八百長が隠されていて、そのためビリーはスコットを殺して、自殺しようと考えていた。
友達はグーン(間抜けの意味)だけで、恋人はなし、唯一の特技はボーリングだった。
引退したスコットが今はストリップ・バーを経営し、出勤が午前2時頃と知ると、それまでビリーとレイラは一緒に過ごすことになる。
二人はボーリングを楽しみ、両親に送るための写真を撮り、デニーズに寄る。そこでビリーがかつて一方的に想いを寄せていた女性・ウェンディに会うが、馬鹿にされ傷ついたビリーを、レイラは親身に慰めた。
店を出た二人はバーの前にあるホテルで休憩するが、レイラへの接し方が分からないビリーは戸惑うばかりで、そんな不器用だが根は優しいビリーをレイラは本気で好きになり、心を通わせた二人は抱き合って眠った。
午前2時過ぎ、ビリーはコーヒーを買いに行くと言って外出しようとするが、何となく不安を感じたレイラは、愛しているから必ず戻って欲しいと頼む。
ビリーは必ず戻ると約束するが、銃を忍ばせ、親友のグーンには別れの電話をし、ストリップ・バーに向かった。
店に入り、女性に囲まれ酒を飲むスコットを見て、スコットを射殺し自らも頭を撃ち抜くイメージを思い描く。
ところが自分が死んでも、相変わらず無関心で、何一つ変わらないであろう両親のことを考えると馬鹿らしくなり、そっと店を出た。
そしてビリーはプレゼントにハート型のクッキーを買ってレイラの元に戻り、レイラを抱きしめて眠りに就き、エンド。



《感想》見た目は強面で凶暴そうだが、実は律義で不器用な小心者というダメ男が、成り行きで拉致した女は、どこか訳ありげな天使だった。
親にも女性にも愛されなかった男は、天使がくれた愛で最悪の事態を思いとどまり、孤独で危うげな女は、自分を頼ってくれる男の出現で救われるという、弱さを抱えた者同士のピュアなラブストーリー。
成り行き任せなのか、計算高いのか分からないが、斬新な演出が随所に盛り込まれていて、その意外性と唐突さに驚かされる。
まず、突然拉致され、特に抵抗もせず付き従うレイラの振る舞いにはやや無理を感じるのだが、クリスティーナ・リッチの持つゆるい母性的包容力と優しさで何となく許せてしまうし、二人の距離感が徐々に縮まって、結ばれていくその“移ろう想い”が実に繊細に描かれていて、納得させられてしまう。
また、ジャズ歌手だったパパの目一杯のヴォーカルや、ボーリング場のレイラのけだるいダンスシーンには、ギャロの音楽愛が見える。
そして、過去の回想シーンの挿入手法を使って、最後に未来予想のトリックを用意するなど、奇抜な演出が冴えていて、“してやられた感”がある。
それにしても、不幸な結末を思いとどまったのが、泣きわめく天使ではなく、能天気な両親を思い浮かべてというのは納得できないところか。
その意外性についても、奈落の底を想像していた観客にとっては、ハート型クッキーにたどり着いてホッとしたというところで、愛おしく温かい余韻に浸れる。

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投稿者: むさじー

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