『チャイニーズ・ブッキーを殺した男』ジョン・カサヴェテス

ノワールとストリップ愛が生む不思議な哀愁

《公開年》1976《制作国》アメリカ
《あらすじ》コズモ(ベン・ギャザラ)が経営するストリップクラブは、小さいながらも経営は良好で、彼はやっと店の借金を返済し終えたところだった。
店の売りはミスター伊達男(ミード・ロバーツ)の卑猥なジョークで進行するショーで、コズモは脚本、演出、アナウンスまでこなし、彼にとって愛する仕事場だった。
今夜はモート(シーモア・カッセル)というカジノ・クラブを経営する男が来て、店を褒め、次は自分の店へと誘われる。
翌日、借金返済のお祝いに店の女性たち同伴してカジノへ出かけたコズモは、賭けに大負けして、2万ドル超という多額の借金を背負ってしまう。
最初は踏み倒そうと考えていたが、カジノのバックにはマフィアがついていて、執拗に店に取り立てに来るようになる。
そして、マフィアから借金返済の代わりに、マフィアの縄張りを荒らす呑み屋のチャイニーズ・ブッキーを殺せと持ちかけられる。
一旦は断ったものの、暴力で脅迫されその命令に逆らえず、マフィアから屋敷の侵入方法、逃走経路など地図で説明され、拳銃を渡された。
これが済めば借金はチャラだと言われ、コズモはその場で借用書を破き、決心を固める。
そしてコズモは一人車で向かうが故障して、タクシーを呼んで、それを待つ間にも店の様子が気になり電話をするのだった。
番犬がいるとの情報を得ていたのでハンバーガーを用意し、犬たちに与えて手なずけ、家に侵入したコズモは、チャイニーズ・ブッキーが一人になったところを見計らって発砲し、暗殺は成功する。
しかし、コズモは逃走の際、腹部に銃弾を受けてしまい、コズモに思いを寄せる踊り子レイチェル(アジジ・ジョハリ)の家に寄って、彼女の母親に応急の手当てをしてもらって、店に戻った。
チャイニーズ・ブッキーの死亡を確認したマフィアは、今度はコズモを始末しようと動いていて、店に帰ってきたコズモはマフィアに連れ出され、駐車場でマフィアと対決することになる。
そして殺しに現れたモートを返り討ちにしたコズモは、マフィアの追撃を逃れ、レイチェルの家に寄るが、母親に諭され、彼女からは拒絶されて、店に戻る。
店の楽屋に入ったコズモは、いつものように演者たちと雑談をし、舞台への意気込みを語り、司会者のミスター伊達男を励まし、ステージに向かう。
ステージ上でコズモは観客に挨拶し、いつものようにショーが始まるが、店を出たコズモの腹部からは大量の血が吹き出し、自らの死を悟ったかのような表情でエンド。

《感想》ストリップクラブを経営する男が、マフィアの罠にかかってギャンブルの借金を背負い、やむを得ず殺しを引き受けるが……という話だが、描きたかったのはノワールなのか、ストリップ愛なのか、微妙である。
どん底まで急降下するカジノの大負け、簡単に果たす敵ボスの暗殺、逃走時のノラリクラリ銃撃戦、これらの描き方がとても淡白なのに比べ、ストリップクラブの描き方は濃密で、踊り子や仲間への気遣いはもとより、殺しに向かう際もショーの運営が頭を離れない、この思い入れは異様である。
何よりも仕事を愛し、愛する仕事を守ろうと闘い、死地に赴く男の生き様と悲哀に、観客は憐憫の情を抱き、その渋い表情と微笑みに隠された喜怒哀楽に共鳴し感動する。
本作のベン・ギャザラは、邦画でいうなら侠客・鶴田浩二ではないか。
あくまでリアリズム志向のノワールではなく、描かれるのは運命に翻弄される男の哀愁であり、やせ我慢の美学なのである。
ショービジネスを心から愛するコズモの姿には、インディペンデント映画に生きるカサヴェテスの思いが投影されていると論評されているが、然り。
カサヴェテスの映画愛とこだわりが、フィルム・ノワールとはやや異質の不思議な世界を作り出している。

※他作品には、右の「タイトル50音索引」「年代別分類」からお入りください。

投稿者: むさじー

名画座通いの昔からネット配信の現代まで、温故知新、共感第一、ジャンル無節操をモットーに選んでいます。 何度も、観る度に感動する映画は大切ですが、二度と観たくない衝撃に出会うのも楽しみです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です