ゆるい世界に漂うダメ男たちの哀愁
《公開年》1986《制作国》アメリカ、西ドイツ
《あらすじ》ニューオリンズの田舎町に住む元ラジオDJのザック(トム・ウェイツ)は、失業中で新しい仕事も見つからず無為に過ごすうち、同棲中の恋人ロレッタに愛想を尽かされ、アパートから追い出される。
途方に暮れるザックの前にマフィアのプリストンが現れ、1000ドルの報酬と引き換えに車の移送を依頼され引き受けるが、移送中にパトカーに停められ、トランクの中から男の死体が発見されて、ザックは無実の罪で逮捕される。
一方、ポン引きのジャック(ジョン・ルーリー)は、普段は仲の悪いチンピラのギグから、仲直りの証として美女を紹介すると持ちかけられ、半信半疑で指定の部屋に入ると、そこに居たのはまだ幼い少女で、ギグの罠にはまったジャックは、踏み込んで来た警官に児童買春の罪で逮捕される。
ザックとジャックは刑務所で同じ監房に収容されるが、反りが合わずいがみ合っているところへ、ロベルト(ロベルト・ベニーニ)というイタリア人が収監されてきた。
英語が苦手で馴染めないロベルトだったが、持ち前の人当たりの良さに感化されて、三人は打ち解けていき、そんなロベルトが実は殺人の罪で投獄されたことを知って、ザックとジャックは驚いた。
ある日、刑務所の庭に抜け穴を発見したロベルトは、ザックとジャックに脱獄を持ちかけ、三人は抜け穴を通って脱獄に成功する。
大きな沼の畔にたどり着いた三人は、警察の追跡から逃れるため泳いで渡ろうとするが、沼には多数のワニがいることから断念し、森を抜けようと歩くうち半壊した小屋を見つけ、そこで一夜を明かした。
翌朝、三人は小屋の前にあったボートで川を下り始めるが、同じ所を堂々巡りしているようで、その一帯から抜けられず、そのうちボートの船底から浸水し始めて、ボートを捨て、森を彷徨う。
夜になり、空腹と疲労で苛立ったザックとジャックが仲違いして殴り合いになるが、ウサギを捕まえてきたロベルトが二人をなだめ、ウサギを食べる三人にはいつしか友情らしきものが芽生えていた。
翌朝、三人はようやく道路に出て、やがて道端に寂れたレストランを発見する。ロベルトが先に偵察のため店に入るが、時間が経っても帰って来ない。
しびれを切らしたザックとジャックが店内を覗くと、ロベルトはレストランオーナーのニコレッタの歓待を受けていて、ロベルトは二人をニコレッタに紹介して、三人はようやく食事にありついた。
ニコレッタと一目で恋に落ちたロベルトは、ここで生涯を共にすることを決意し、ザックとジャックは二人を祝福しながら別れを告げて旅立つ。
標識のない分かれ道でザックとジャックは、互いの上着を交換して、握手もせずに素っ気なく言葉を交わすと、左右に分かれそれぞれの道を歩き出した。
《感想》妥協できず失業中の元DJと、妄想に支えられて生きるチンピラ。
水と油のような二人の間に、宇宙人キャラのイタリア男が加わって、妙なバランスがとれ、ダメ男同士の不思議な友情が生まれる。
タイトルは「親しい兄弟のような間柄」の意味とか。
全編ゆるい展開で、盛り上がるかなーと期待すると肩透かしを食ってしまうし、あまりに素っ気ないエンディングは、潔さに感動すら覚える。
加えてご都合主義満載で、出来過ぎに呆れながらも何故か許してしまう。
愛すべきダメ男たちの成り行き任せの人生は、どんな奴にも居場所はある、「何とかなるさ」感に満ちていて、人生は標識のない道を歩くようなもの、と語っているかのよう。そして気持ちが軽くなる。
ダラダラした中に、音楽的、詩的、コメディのセンスが溢れ、男たちのほろ苦い哀愁が漂う。
このダラダラ感に同調できるかどうかで評価が分かれるだろう。
二人のミュージシャンにコメディアンを加えた組み合わせの妙が、独特の間とリズムを生み出している。身を委ねることが楽しむ極意かも。
※他作品には、右の「タイトル50音索引」「年代別分類」からお入りください。