『ディア・ピョンヤン』ヤン・ヨンヒ 2006

北朝鮮を巡るシナリオ無き父娘のドラマ

ディア・ピョンヤン [DVD]

《あらすじ》大阪とピョンヤンを舞台にしたドキュメンタリー映画である。
冒頭で朝鮮半島と日本の歴史的関係が説明される。
1910年:朝鮮半島は日本の統治下に置かれた。
1945年:第二次世界大戦が終結し、半島は解放されたが、北にはソ連、南にはアメリカが介入する。
1948年:二つの政府が出来て、民族分断の悲劇が始まる。
1950年:3年に及ぶ朝鮮戦争を経て、南北対立が激化する。
1959年:帰国事業が始まり、多くの在日が北朝鮮に渡った。

主人公となる父親ヤン・ゴンソンは、日韓併合時代の済州島に生まれたが、貧しさもあって日本に渡り、同じ済州島出身で在日コリアン2世のカン・ジョンヒと結婚し、3人の息子と1人の娘をもうけた。
その娘が監督のヤン・ヨンヒである。
父は北朝鮮出身ではないが、北朝鮮の理念に共感して人生のすべてを祖国の政治活動に捧げ、朝鮮総聯の幹部となった。北朝鮮帰国事業を推進する立場からそれに尽力し、3人の息子を北朝鮮に送り出した。
当時の日本では、在日朝鮮人は貧困と民族差別に苦しんでいて、また韓国は朝鮮戦争後の経済混乱で不安定だったので、旧ソ連の影響で当時は経済成長下にあった北朝鮮に望みを託してのことだった。
北朝鮮に渡った3人の兄たちはそれぞれ家庭を築き、今もピョンヤンで暮らしている。
兄たちがピョンヤンに渡ってからというもの、母は日用品を段ボール箱に詰めて送り続けていた。生活苦と物資不足を補うためである。
2001年秋、父の古希をピョンヤンで祝うことになった。
兄のアパートに着いた両親とヤンは、元気いっぱいの甥や姪から歓迎を受け、
盛大に行われた父の誕生日会には、全国から約100人もの参加者が集まった。
その席で父は、「革命家を育てることが自分の仕事。そして自分はまだ祖国に忠誠を尽くしきれていない」と語り、老いても信念を貫いていることを示した。
それから3年が過ぎた2004年、父は脳梗塞で倒れ闘病の日々にある。



《感想》人生のすべてを祖国・北朝鮮に捧げてきた両親と、日本で生まれ育った在日3世の娘。カメラの後ろにいる娘(監督)が語りかけ、主人公である父親が普段の姿で答える。
日常の私的なビデオ撮影のようで、演出はあまり感じられない。
父の思想信条と当時の状況から臨んだ北朝鮮帰国事業だったが、その選択から後に家族離散という苦しみを背負い込んでしまう。
父は内心では後悔しながら、朝鮮総聯元幹部という立場上、それを言葉にはできず、せめて今まで縛ってきた娘を理解しようとする。
娘は父の秘めた葛藤、辛さが分かっているだけに、帰国事業の過去を糾弾したりせず、「(父の言動に)違和感を覚えた」とさりげなく否定し、気遣いを見せる。
この距離感には、心底から理解し合えないだろう親子の溝と、切っても切れない親子の情の両方があって、どこにでもある親子の姿と重なる。
最終的に父は、娘の仕事がやりにくいだろうと、娘が朝鮮籍から韓国籍に変えることを認め、娘の生き方を受け入れて二人のわだかまりが消えた。
この時、娘を想う感情が溢れてしまって言葉にならず、父はすねたように背を向けた。その微笑ましさに思わず涙腺が緩む。
いわゆるドキュメンタリーとしては、踏み込みの甘さが目に付くが、家族の葛藤を描いたシナリオの無いドラマとして見ると、熱く迫るものがある。
なお、同時期に撮って、姪を主人公にした『愛しきソナ』(2009年)を併せて観ることをお勧めする。

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投稿者: むさじー

映画レビューのモットーは温故知新、共感第一、良品発掘。そして、世間の評価に関係なく私が心動かされた映画だけ、それがこだわりです。やや深読みや謎解きに傾いている点はご容赦ください。 映画は広くて深い世界、未だに出会いがあり発見があります。「いやぁ~映画って本当にいいものだ」としみじみ思います。