善行に隠れた悪を問う、若手制作のドラマ
《あらすじ》秋田の田舎町で自動車修理工場を営む父が亡くなり、東京から息子の明石幸次(阿部進之介)が戻ってくる。
父は大手自動車メーカーの不正を内部告発したが、小さな町では直接の利害が絡み、同業者の圧力や嫌がらせから孤立し、借金を抱えた末の自殺だった。
葬儀の後、生前に父親にお世話になったという北村(安藤政信)が現れ、生前の父を知りたい幸次は、児童養護施設のオーナーである北村を訪ね、施設の調理の仕事に就くことになる。
しかし、それは昼間の仕事で、夜は集団を組んで車の窃盗、水商売(不法滞在?)の元締めをしていて、父も盗んだ車の解体を手伝っていたという。
北村は、子どもを守るためには手段を選ばずという信念を持っていて、幸次は驚きながらも、手伝うことを了承した。そして父が残した日記やスクラップを基に、死に至る謎の解明と復讐を誓った。
施設は18歳までが養育期間だが、高三の女の子・奈々(清原果耶)が幸次に興味を持ち、話をするうち、お互いに気になる存在になっていく。
奈々は絵がうまく、美術系に進学か就職か迷っていたが、親が東京にいるらしいという情報を北村から得ていて、そこに望みをつないでいた。
幸次は奈々の誕生日に彼女の好物料理を作り、皆で祝おうとするが、奈々は戸惑い、見せかけの家族だと反発した。
幸次は父を自殺に追い込んだ背景を調べるうち、誰かが父の資料を盗んで改ざんしマスコミに流したことを突き止める。
そこで犯罪集団の仲間と協力して、その検査報告書を手に入れることに成功するが、陰で暗躍する大手自動車メーカーの三宅(田中哲司)に握りつぶされ、マスコミで公にすることは出来なかった。
奈々は施設を出る準備で、市役所で戸籍謄本を取って、初めて両親が死亡していることを知り、北村を河岸に呼んで真相を問い詰める。すると、言い争いになり、突然北村は川に飛び込み溺死してしまう。
実は奈々の父と北村の間には過去があった。奈々の父が北村の家に強盗に入り、北村の妻を殺害し、その後に帰宅した北村が奈々の父を正当防衛で殺してしまっていた。
大きな罪の意識を背負った北村は、犯人の2歳の娘を施設に引き取り、娘の将来を案じて必死に貯金をしていて、北村にとって奈々は特別の存在だった。
北村の死後、組織は弱体化し犯罪集団は壊滅して、三宅から幸次に盗んだ資料の返還要求がくる。出向いた幸次は三宅を殴り倒し復讐は果たすが、殺人未遂容疑で逮捕されてしまう。
奈々は高校を卒業し、東京の大学に行くことを決め、刑務所の幸次に会いに行く。奈々の「正しいとは?」の問いに、「大切な人を守ること」と答えたものの、果たして守れたのか、答えられない幸次だった。
《感想》父のノートに記された「善と悪はどこからやって来るのか。そして私は今、どちらにいるのだろうか」というメモが映画のテーマになる。
養護施設で見せる優しい昼の顔と、窃盗に励む暴力的な夜の顔。施設のオーナーが持つ信念に引きずられ、主人公もその父も加担する。
問いたいのは絶対的な悪ではなく、誰しも善と悪を抱えていて、善意の人が内包する悪は否定できるか、と言いたいのだろうが、善行のためには違法行為が許される、貧しい弱者は富める強者から盗みをしてもいいと解されそうで、共感は難しい。
ただ、正義だけでは通らない世の中の不条理とか、善と悪をシロクロで無理に判別し糾弾する社会への警鐘というメッセージは感じられるし、それをオリジナル脚本で取り組んだ熱意は評価されていい。
不足しているのは、登場人物の描かれるべき心の内かと思える。
父親が自殺に至る苦悩はサスペンス色に埋もれて曖昧だし、北村の入水自殺は唐突すぎて葛藤の跡が見えない。脚本の詰めの甘さが人間ドラマ成立の妨げになっている。
でも、このような地味なミニシアター風映画が若いスタッフの手で作られるということは、漫画原作に頼り過ぎる日本映画界への刺激にはなる。
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