『戦争のはらわた』サム・ペキンパー

男気、名誉、憂国。死に直面した男たちの相克のドラマ

戦争のはらわた

《公開年》1977《制作国》西ドイツ、イギリス
《あらすじ》第二次世界大戦中の1943年、ソ連軍の猛攻撃に遭って苦戦を強いられている戦線のドイツ軍に、シュトランスキー大尉(マクシミリアン・シェル)が着任する。
彼は貴族出身で鉄十字勲章を得るため転属を志願したとうそぶく。
一方、小隊長として部下の厚い信望を得ているシュタイナー伍長(ジェームズ・コバーン)は、鉄十字勲章を持つ有能な兵士だが、権威に対して反抗的な態度から、二人は合わないだろうと周囲は見ていた。
ソ連の少年兵を捕虜にして戻ったシュタイナーに、シュトランスキーは少年兵の殺害を命じて二人は早速対立するが、部下の機転で少年兵の命は救われる。
そしてシュトランスキーは、シュタイナーを曹長に昇格させたり、副官の少尉に対し同性愛者である秘密を盾に逆らえないようにしたり、支配のための策略を巡らす。
その後、シュタイナーは捕虜の少年兵をこっそり逃がすが、折悪くソ連軍の攻撃に遭い、少年兵は味方に撃ち殺されてしまう。
この攻撃で、地下壕に隠れたシュトランスキーは生き残り、地上で指揮を執った若いマイヤー少尉は戦死、シュタイナーも負傷した。
シュタイナーは入院した病院で看護婦のエヴァ(センタ・バーガー)と愛し合うようになり、国に帰って療養する話になるが、前線に戻る同僚を見て自分も帰隊することにする。
そして戻った部隊は、ソ連軍の攻勢で自国軍の退却が決まるが、その内部ではそれぞれの思惑が交錯する。
シュタイナーを目障りに思うシュトランスキーは、全小隊一斉退却の連絡をシュタイナー小隊にはせず、部隊を率いるブラント大佐は敗戦を見越して、有能な部下を戦後社会での活躍のために前線から脱出させた。
そして取り残され孤立したシュタイナー小隊は、ソ連軍の女性兵士部隊に遭遇し、地図と軍服を手に入れ味方部隊への復帰を図る。
ようやく味方の前線に到着したシュタイナー小隊は、あらかじめ帰還の連絡を入れ、敵味方識別の合言葉「境界線」を唱え、敵対の意思がないことを示しながら進むが、味方軍の発砲を受けてしまう。
それは、シュトランスキーの指示を受けた副官トリービヒ少尉の命によるものだった。
シュタイナー小隊の兵士は次々と命を落とし、残った二人の部下と共に部隊に戻ったシュタイナーは、トリービヒを射殺した後、“借りを返し”に向かう。
シュタイナーはシュトランスキーを撃つことなく銃を与え、二人して戦いの中へ。機関銃の弾倉の装填が分からず困っているシュトランスキーを見て、シュタイナーが高笑いをしてエンド。



《感想》暴力が正当化され、殺人や破壊こそが称賛される戦場では、そこで生死を賭けてうごめく男たちの名誉欲や支配欲、自尊心や保身、さまざまな思惑が動いて人間のドラマを作り出す。
シュタイナー曹長は戦場の魔力にとりつかれ、負傷して療養除隊できるのに再び戦地に戻るが、それは暴力の快楽と依存性によるものか。一見カッコいいヒーロー像なのだが、戦場以外での彼は輝きが失せ、その露呈された不器用さには男の哀愁が漂う。
シュトランスキー大尉は名誉の勲章欲しさに志願し、そのために策を弄するが、口先ばかりで銃弾の扱いも知らない。
ブラント大佐は部下を正当に評価し、敗戦後の国の復興のことまで視野に入れている沈着冷静な上官で、有能な部下を戦地から脱出させている。
それぞれが敗戦間近の死を前にした状況で、自らの生き様を模索している。
戦争の残虐さ、愚かさにのみ目を向けてしまいがちだが、それだけでなく男たちの相克のドラマになっているし、仕事人間、出世欲、管理能力といった現代社会の組織の在り様に通じるものを持っている。
徹底したリアリズムに、ペキンパー流のエンタメ性を盛り込み、暴力を通してヒューマニズムを描いた彼唯一の戦争映画は、独自の美学を持って輝いている。

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投稿者: むさじー

映画レビューのモットーは温故知新、共感第一、良品発掘。そして、世間の評価に関係なく私が心動かされた映画だけ、それがこだわりです。やや深読みや謎解きに傾いている点はご容赦ください。 映画は広くて深い世界、未だに出会いがあり発見があります。「いやぁ~映画って本当にいいものだ」としみじみ思います。