『ガンジスに還る』シュバシシュ・ブティアニ

死を前に悟り、悔いない生を促す静かな“終活”ドラマ

ガンジスに還る

《公開年》2018《制作国》インド
《あらすじ》77歳になるダヤ(ラリット・べヘル)は毎夜見る少年期の夢に、自分の死期が近いことを感じ取り、解脱の聖地バラナシに行きたいと家族に告げる。
勤め人の息子ラジーヴ(アディル・フセイン)は仕事を休むことに難色を示したが、年老いた父を一人で行かせる訳にはいかず、仕方なくバラナシに付き添う。
バラナシにある「解脱の家(ムクティ・バワン)」に着くと、施設長(管理人兼僧侶?)のミシュラから15日間の滞在を許され、そこには死を待つ人たちが溢れていた。
ダヤは、この施設に来て18年になるという老女ヴィムラ(ナヴニンドラ・べヘル)と知り合い、親しくなる。
仕事が気になるラジーヴは、食事中も携帯を片手に仕事の話ばかりで、日課の自炊は手抜きだったが、一方のダヤは、この地に来てから興味に従って生き生きと、執筆したり沐浴したりと活動的になっていた。
ある日ダヤが熱を出して寝込み、死期が近づいたと感じたラジーヴは、妻のラタと娘のスニタに来るよう連絡する。
ラジーヴはダヤを抱きしめ別れを惜しんだが、翌朝になると熱は引きダヤはすっかり元気を取り戻していた。
ラタとスニタが到着し、家に帰ろうとダヤを説得してみるが、ダヤは帰ろうとせず、滞在15日が過ぎて、ミシュラからは延長の許可が出る。
ラタとスニタは家に帰るが、去り際にダヤは、結婚を控えながら迷っているスニタに「心の声に従え」とアドバイスする。
そして再び二人切りになった親子は、解脱のことや来世のことを語り合う間柄になり、久しぶりに親子としての時間が流れる。
だがラジーヴの苛立ちは募ってくる。娘は乗り気でなかった結婚をやめ就職するというし、休暇が更に延びた会社からは怒られるし。
ヴィムラはいつしかダヤの隣で眠るようになっていたが、そんなヴィムラが突然解脱する(亡くなる)。
そしてヴィムラの死後、ダヤの心は決まったようで、ラジーヴを帰宅させ、一人で逝くことを告げる。
戸惑いながら自宅に戻ったラジーヴだったが、しばらくしてダヤが亡くなったという知らせが来る。施設入所して28日目のことだった。
遺品を整理しに施設を訪れたラジーヴ家族。ダヤの遺体を担ぎ、手拍子を叩き歌いながら進む明るさに包まれた葬列が、ガンジス河に向かってエンド。



《感想》悠久のガンジスを象徴する、バラナシの壮大にして厳粛な風景の中で物語は展開していく。
死期を感じ取った老人と、それに理解を示せない仕事一途な息子の、死を前にした心の交流が軸で、この不器用な親子は、解脱に至る数日間で、互いに言えずに秘めていた心情を吐露する。
父は子に“子育ての悔い”を詫び、子は父に“変わらない尊敬と感謝の気持ち”を伝える。
そして孫娘は、死にゆく祖父に促されて、真に自分に忠実な生き方を求めていく。
死はプロセスで誰もが通らなければならないもの。だから生きているうちは、最大限自分を生かし、後悔なく生きよ、と死にゆく者が語っている。
「死」という重いテーマだが、重くなり過ぎないようユーモアを交えて描かれ、切なくはあるが温かい気持ちにさせられる作品だった。
監督は27歳の新鋭で、「解脱の家」という聖なる空間にユーモアをもたらす意味合いだろうが、施設長の「滞在は原則15日だが延長もあり」という計算高く、ビジネス上手なキャラには、現代の若者が持つシニカルな視線も感じる。
“終活”も世俗的にはビジネスたり得るだろうし、解脱に至るにも蓄えが必要なようである。

※他作品には、右の「タイトル50音索引」「年代別分類」からお入りください。

投稿者: むさじー

映画レビューのモットーは温故知新、共感第一、良品発掘。そして、世間の評価に関係なく私が心動かされた映画だけ、それがこだわりです。やや深読みや謎解きに傾いている点はご容赦ください。 映画は広くて深い世界、未だに出会いがあり発見があります。「いやぁ~映画って本当にいいものだ」としみじみ思います。