『この空の花 長岡花火物語』大林宣彦 2012

平和と復興を願う斬新で美しい大林ワールド

《あらすじ》天草の地方紙記者・遠藤玲子(松雪泰子)は、かつての恋人で高校教師の片山健一(高嶋政宏)から届いた「長岡の花火を見て欲しい」という手紙に心惹かれ、新潟・長岡市を訪れる。
18年前、玲子は自分が長崎の被爆者二世であることから、出産に不安を持ち、一方的に別れた過去があった。
玲子は新潟日報の記者・井上和歌子(原田夏希)や地元のタクシー運転手(笹野高史)の案内で、町に残る戦争の痕跡を辿り、この町に生きた様々な人に会ううち、過去と現在を繋ぐ不思議な体験に遭遇する。
一方の片山は、一輪車に乗った不思議な生徒・元木花(猪俣南)が書いた演劇台本『まだ、戦争には間に合う』の上演に向けて力を注いでいた。
花は、1945年に戦争で亡くなったが、戦争の悲惨さを伝えようと、18歳の姿で現れた亡霊だった。
という物語の展開に、幕末の戊辰戦争、第二次世界大戦の長岡大空襲など戦争の歴史、2004年の中越大地震、2011年の東日本大震災で移住してきた被災者の思いなどが絡み、過去と現在、現実と空想が入り乱れて進んでいく。
戦争で赤ん坊(花)を亡くした母親(富司純子)は紙芝居で戦争の語り部となり、長岡の花火とシンクロしながら、花を中心とした戦争の野外劇が繰り広げられる。
舞台には演者だけでなく、過去の戦死者や画家・山下清も登場する。
一輪車に乗った生徒たち(亡霊?)が舞台を締めくくり、別れを告げ、それを花火が彩る。
そして玲子は生まれ故郷の長崎に帰り、12月8日、開戦の日の供養の花火でエンド。

《感想》大胆に時間軸をシャッフルし、コラージュ化した映像で、混沌とした深みに誘い込む摩訶不思議な映画である。
加えて、長岡出身・山本五十六のエピソード、空襲が原子模擬弾の投下実験だったという戦争秘話など、郷土史の情報がふんだんに盛り込まれる。
花火も爆弾も火薬によって作られ、原子力は生活エネルギーとして平和利用される以外に、核兵器となる危険性や原発事故の原因にもなる。
そんな二面性を過剰なテロップで事細かに解説し、感情を排した饒舌なセリフ回しで語りかけ、戦争と大地震被災者への追悼と祈り、そして復興へのメッセージを力強く訴えてくる。
その表現方法は、演劇、紙芝居、ドキュメンタリー、それにモデルとなった人物の登場など多岐に渡り、CG、アニメを駆使したその世界は壮観で圧倒される。
一方で無茶苦茶ともとれる表現世界であり、秩序を求める観客には共感不能と思えるが、この時空を超えたカオスは、時代の息苦しさ(昔も今も)から解放する仕掛けのようにも思え、しばしその混乱に身を投じていると、不思議と違和感は薄れ、腑に落ちてくる。
「人と人の隙間を埋めるのは想像力」というセリフがあるが、想像力(「思いやり」も想像力)があれば誰も争いを望まない、想像力こそが人の知性であるといい、この映画も想像力を武器に作られ、観客に想像力を強いる作品であるといえる。
エンディングの花火とともに「爆弾を花火に変えて打ち上げたら戦争がなくなる」という言葉、然りと思う。
また本作は、後の二作品にない、若く美しい輝きに満ちている。
それは若いヒロイン(猪俣南)の、生命の輝きを感じさせる瑞々しい魅力であるとともに、大林監督がまだ持っていた若々しい感性のゆえ、と思える。

※他作品には、右の「タイトル50音索引」「年代別分類」からお入りください。

投稿者: むさじー

名画座通いの昔からネット配信の現代まで、温故知新、共感第一、ジャンル無節操をモットーに選んでいます。 何度も、観る度に感動する映画は大切ですが、二度と観たくない衝撃に出会うのも楽しみです。

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