天使から悪魔へ、美しき復讐者を耽美的かつリアルに描く
《公開年》2005《制作国》韓国
《あらすじ》2004年冬、イ・クムジャ(イ・ヨンエ)は13年の服役を終え出所する。彼女は1991年、20歳の時、6歳の少年誘拐殺人事件の犯人として逮捕収監されていた。
出所後に身を寄せたのは、服役中、クムジャによって信仰に導かれ救われた美容師のキム・ヤンヒ宅で、次に彼女は被害者少年の両親を訪ね、目の前で指を切って謝罪しようとし、両親に止められる。
まもなくベーカリー「ナルセ」にパテシエとして就職をする。そして、夫が鉄工所を営むウ・ソヨンを訪ね、ピストルの作成を依頼する。ソヨンは服役中、クムジャから腎臓の提供を受けていた。
クムジャには18歳の時、教育実習で来たペク(チェ・ミンシク)と関係し妊娠・出産した娘がいて、その子は彼女が収監中、養子に出されていた。
実は少年誘拐の犯人はペクで、身代金目的で誘拐したものの、泣き止まない子を殺してしまい、クムジャの娘を誘拐して、罪を被らなければ殺すと脅迫して、彼女はやむなく罪を被っていたのだった。
そんな娘ジェニーがオーストラリアにいることを知り、クムジャは養父母宅に会いに行くが、一目会って帰るつもりが、娘からソウルに行きたいとせがまれ、やむなく連れ帰ることになる。
一方のペクは幼児向け英語教室を経営し、若い妻パク・イジョンと暮らしているが、イジョンも元囚人で、クムジャを恩人とする過去があって、彼女の頼みは断れなかった。
イジョンが仕込んだ睡眠薬でペクは眠らされ、乗り込んで来たクムジャがペクを拘束して、予め用意した廃校へペクを運んだ。
その後、クムジャはペクの自宅を捜索して、ペクが殺した4人の殺害時のテープを見つけ、その遺族を廃校に集めて上映会をする。
そして遺族に問う「法的処罰を望むなら警察に引き渡す。迅速で個人的な処罰を望むならここで手を下せる」と。
ペクの処罰を巡る話し合いは紛糾したが、それぞれの遺族が順番になぶり殺すということでまとまり、各遺族はそれぞれの方法で殺しに加担し、証拠の集合写真を撮って、遺体を校舎の裏山に埋めた。
やがてジェニーは、オーストラリアから迎えに来た両親と共に帰ることになる。別れの時、クムジャは「白い心で白く生きて」と、娘のために白いケーキを作って差し出すが、堪えきれずにケーキに顔を埋め、娘は母を抱きしめながら別れを告げてエンド。
《感想》前半は、クムジャの“天使のような親切”が描かれ、コミカルで軽めの展開だったが、誘拐殺人事件の犯行の全容が明るみに出た後半、復讐劇は急に残虐なリアリズムの世界に突入する。そして“親切”は復讐への布石だったと気づく。
遺族を集めて復讐の機会を与えて問う、「自らの手で復讐を果たすか、法の裁きに委ねるか」。
そこで遺族は、増す憎しみと、いざ復讐に立ち向かう恐怖で葛藤し、人の心の闇が浮き彫りになってくる。
そして一同は殺しを終え、復讐の虚しさや成し遂げた後の寂寥感を味わう。
韓国映画ならではのストレート勝負で、共感できるか否かはともかく、その凄さには圧倒される。
凄惨で救われないバイオレンス劇なのだが、全編不気味な映像美で描かれ、リズミカルで哀切なメロディに包まれていて、シリーズ前作『オールドボーイ』と異なり、やや耽美的な世界へと誘う。
サスペンスとしての突っ込み所はいくつかあるが、この不思議な世界には思わず惹き込まれてしまう。
同監督にしては悪趣味に走り過ぎず、抑制が効いている印象である。
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