『81/2』フェデリコ・フェリーニ

苦悩する映画監督の夢と妄想、そして再生を描く

8 1/2

《公開年》1963《制作国》イタリア、フランス
《あらすじ》一流の映画監督グイド(マルチェロ・マストロヤンニ)は新作の構想と療養のため温泉地にやってくる。
しかし、一向に映画内容は定まらず、取り巻きの関係に疲れていく。
愛人カルラ(サンドロ・ミーロ)とは肉体だけの関係、妻ルイザ(アヌーク・エーメ)とはもはや惰性、そこへ若く美しい女優クラウディア(クラウディア・カルディナーレ)が現れるが、心惹かれながらも情事の夢も彼女の存在も消えてしまう。
彼の夢、彼の想像の中で思索は古い思い出へとたどっていき、ブドウ酒風呂を恐れ逃げ回った少年時代、娼婦と踊ったことで神父から罰せられた思い出……古い思い出の中を彷徨い、現実と虚構が交錯し、映画関係者からの相談や懇願が押し寄せ、収拾がつかないまま元の生活に戻る。
彼が全てを投げ出そうとした瞬間、何かが動き出し、周囲の誰もが彼と同じ方向に向かってくれて、映画製作が始まる。
「みんな手をつないで踊ろう。人生はお祭りだ」。自分も妻と共に輪に入り、踊り続ける人々はやがて闇に消え、ただ一人残ったのは、笛を吹き続ける少年時代のグイドだった。



《感想》フェリーニの分身と思われる著名な映画監督グイドは、映画製作に悩みぬき、置かれた立場の閉塞感や自由への渇望を感じながら、一方でハーレムのように支配権を握りたい、周囲から必要とされる存在でありたいという世俗的な願望を持っている。
そんな映画監督の日常の現実に、白昼夢と妄想が重ねられ、それらが入り乱れた混沌とした世界を繰り広げる。
一時はどん底の修羅場と化しながら、ある時、何事もなかったかのようにカーニバルが始まり、グイドの映画製作が軌道に乗ってしまう。
ラストは、「人生はお祭りだ」とばかりに他者の輪に溶け込んで、観客が戸惑うほど唐突なハッピーエンドを迎えるが、その前に、グイドが拳銃を所持し銃声が聞こえるという、はっきりとは描かれないが自殺を暗示するシーンがあって、観客は一層混乱する仕組みになっている。
映画自体も捉えどころのない、断片的なイマジネーションの羅列といった世界だが、夢や妄想の映像化と見れば、分からない訳ではない。
しかし、このラストシーをどう解釈したらいいのか、混沌とし過ぎていて悩んでしまう。
ラストの踊りの輪に描かれるのは、グイド(フェリーニ)の映画に対する深い愛情、妻への愛(懺悔)であると共に、映画監督としての再生願望の妄想?ではないか。
あの銃声は、悩み苦しんだ末に自殺したことを示し、その結果、今の自分は消えたが、映画というお祭り世界を夢見た頃の少年時代の自分が一人残されたというもの。
とすると、あの踊りの輪は死後の世界ともとれるし、死にゆくグイドの最後の妄想であるとも思える。
判然とはしないが、“映画愛”が強く感じられるラストシーンである。

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投稿者: むさじー

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