『アマルコルド』フェデリコ・フェリーニ

郷愁に満ちた少年期を独特の映像美で回想する

フェリーニのアマルコルド

《公開年》1974《制作国》イタリア、フランス
《あらすじ》イタリアの田舎町の春の夜、15歳の少年チッタ(ブルーノ・ザニン)は家族と共に「春の訪れを祝う祭り」の輪の中にいた。
ガラクタを積み上げ、冬の女神の人形を燃やして歌い踊り騒ぐ、誰にとっても素晴らしい夜だった。
夏になると、豪華定期船レックス号が沖合を通り、町中が船団を組んで歓声を上げる。レックス号の勇姿はイタリアの誇りであり、町の人々にとっても誇りである。
この当時のイタリアは、全土にムッソリーニのファシズム旋風が吹き荒れていて、少しでも反抗的な態度をとると、たちまちファシスト本部に連行され拷問を受けた。
チッタの父も、事件の容疑者として疑われ、拷問を受けた。
秋になると、精神病院に入院しているおじさんが外出許可を得たので、それに同行するが、やはり奇行が目立って再び病院に連れ戻された。
大きな木に登り「女が欲しい」と叫ぶおじさんの姿に、望みが叶うはずはないのだが割り切れないものを感じた。誰しも欲望は同じはずなのにと。
そんなチッタには大人の女性、グラデスカ(マガリ・ノエル)という憧れの女性がいたが、全く相手にされなかった。
冬には記録的な大雪が降り、一羽の孔雀が雪上に見事な羽根を広げて見せたが、孔雀は不幸の前兆と言われ、その冬、チッタの母が病気でこの世を去った。
そしてまた春、町中の人々に祝福されてグラデスカの結婚式が行われた。
チッタは最も大切な二人の女性を失い、生涯忘れ得ぬ一年となった。
そんな体験を経て、少年チッタは少しずつ大人の階段を昇り始めている。



《感想》「アマルコルド」とは、イタリア北部の方言で「私は覚えている」という意味だとか。
綿毛が春を呼んだ日から次の春までの、少年の一年を描いた物語である。
少年期の甘美な回想と虚構が入り混じって、おとぎ話のようなエピソードがノスタルジックに語られ、独特な映像美と郷愁に満ちた世界が広がる。
ただ、物語としてのはっきりした展開がある訳ではなく、断片的なエピソードの羅列という印象なので、物語として理解しようとするより、この映像世界に浸り、感じることが肝要なのかと思える。
フェリーニは難解で退屈だから嫌いという人には、本作を気楽な気分で観て欲しい。極上の世界に触れられるかも知れない。
観終えて、寺山修司『田園に死す』(少年期の回想やサーカスのシーン)への影響を感じた。
また、美しい大人の女性グラデスカへの少年の思慕は、トルナトーレ『マレーナ』と重なった。

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投稿者: むさじー

映画レビューのモットーは温故知新、共感第一、良品発掘。そして、世間の評価に関係なく私が心動かされた映画だけ、それがこだわりです。やや深読みや謎解きに傾いている点はご容赦ください。 映画は広くて深い世界、未だに出会いがあり発見があります。「いやぁ~映画って本当にいいものだ」としみじみ思います。