俗事に振り回される哲学女史の凛とした生き様
《公開年》2016《制作国》フランス
《あらすじ》パリに暮らす高校の哲学教師ナタリー(イザベル・ユペール)と、同じ哲学教師のハインツ(アンドレ・マルコン)は結婚して25年、かつては同士のような関係だったが、子どもたちが独立した今、ナタリーが抱えているのは、認知症が進んでいる母イヴェットの介護だった。
そんな日常の合間にも哲学書に浸る毎日だったが、自然に夫との距離が出来てしまう。
ある日、かつての教え子でナタリーを慕っていたファビアン(ロマン・コリンカ)に再会し、ナタリーの自宅を訪れたり、自分たちの山荘に誘ったりという付き合いが始まる。
ファビアンは教職を辞め、執筆活動をしながらアナーキスト仲間たちと活動を共にしていた。
そんな中で夫ハインツの浮気が発覚して別居に進み、母の症状が悪化して介護施設に入所することになって、母が飼っていた猫パンドラの面倒を猫アレルギーのナタリーが見ることになってしまう。
ナタリーはファビアンと仲間たちが暮らすアルプスの山荘を訪れ、自分の著作が時代遅れになっていること、夫との離婚など、ファビアンに対し涙ながらに今の心情を打ち明ける。
やがて介護施設にいた母が突然亡くなり、出版社からは著作の契約を打ち切られ、側にいるのは猫のパンドラだけになったが、そのパンドラもファビアンたち仲間に引き取ってもらった。
ファビアンたち若者との間にも溝を感じていたナタリーは、パリの一人暮らしに戻る。
孤独だが自由を得たナタリーを待っていたのは、娘の出産だった。病室には元夫ハインツも訪れ、ナタリーが赤ん坊を抱き子守唄を歌ってエンド。
《感想》50代の哲学教師ナタリーにとって信じていた思想は時代遅れになり、添い遂げるものと思っていた夫は新しい愛を求めて家を出て、かつてはモデルとして美しさを求め、自分を愛してくれた母は認知症の末に死を迎えた。
変わらないはずの知識や思想を基に生きているつもりだったが、日々現実は変化していて、その現実がもたらす俗事に流され、置き去りにされようとしている自分に気付く。
しかしナタリーはしっかり現実と向き合い、決して悲観的にならず、確固とした自分のまま、淡々と生きていくというストーリー。
猫が象徴的に描かれている。都会のオリのような暮らしから、山荘の自由の中に放たれ、生きていく不安を抱えながらも伸び伸びと暮らし始める。
ナタリーは猫ほどに自由ではないが、今まで不変と思えていた知識の世界から一歩踏み出し、現実と折り合いをつけながら歩き出した感がある。
淡々とし過ぎた展開でドラマチックな盛り上がりに欠けるが、テンポ良く日常が描かれ、ユペールが演じる凛として知的で、決してブレない女性像に目を見張りつつ惹き込まれていった。
監督は若手(’81年生まれ)の女性で、突如現れる映画館の痴漢のエピソード、娘が父親の浮気を指摘するシーンなど、終始女性目線の映画という印象を持った。
また、多くの哲学書と哲学的なセリフが登場する、昔ながらの知的で理屈っぽいフランス映画でもあり、この高校の授業風景を見ていると、我が国にも「自分の頭で考える」教育が必要だとつくづく思う。
※他作品には、右の「タイトル50音索引」「年代別分類」からお入りください。