『グロリア』ジョン・カサヴェテス

母性に目覚めた任侠おばさんのヒューマン活劇

グロリア

《公開年》1980《制作国》アメリカ
《あらすじ》マフィア組織の会計士・ジャックは、妻ジェリと姉弟の二人の子ども、妻の母という家族を連れてアパートから逃げようとしていた。彼が組織の金を横領し、FBIに情報を漏らしたことがバレたもので、既に部屋の周囲にはマフィアの影が迫っていた。
そんな時、部屋を訪れたのがジェリの友達で、同じフロアに住むグロリア(ジーナ・ローランズ)だった。
グロリアは、切羽詰まったジャックから息子のフィル(ジョン・アダムス)を預かって欲しいと頼まれ、組織の秘密を記したノートを託されたフィルを連れて、自室に戻った途端、ジャックの部屋は爆破され、アパートを脱出した二人は組織から追われることになる。
グロリアはかつて組織のボス、タンジーニの情婦だったことがあり、組織に身を置いていたが、今は組織に追われ、昔の仲間を敵にまわして闘うことになる。
そして銀行から持ち金すべてを引き出し、バスと電車を乗り継いで逃避行を続けるが、地下鉄にも空港にも組織の目があり、それをかいくぐって逃げ回るうち、離れていた二人の距離は縮まっていく。
グロリアにとってはフィルを守ることが全てになり、フィルもグロリアを母のように頼り、慕うようになっていた。
やがて逃避行に限界を感じたグロリアは、決着を付けようとボスのタンジーニに連絡を取り、フィルには「3時間待って戻らなかったらピッツバーグに行くように」と言い残して、秘密のノートを持ってマフィアのアジトに向かう。
グロリアはタンジーニに、フィルを見逃して欲しいと頼むが聞き入れられず、ノートを置いてアジトを出るが、アジトを去るグロリアに向けて、一斉にマフィアの銃弾が浴びせられた。
フィルは一人でピッツバーグに向かい約束の墓地に着くが、現れないグロリアの死を予感し、お祈りしたところへ、老婆に変装したグロリアが現れ抱き合ってエンド。



《感想》リュック・ベッソン『レオン』(’94年)と設定や物語が似通っていることから“同作の原型”と言われるが、ヒロインと男の子なので真逆の組み合わせになっている。
アラ・フィフのやさぐれオバサンがヒロインという設定にはどこか冴えない印象を持つが、このオバサンが峠を越えた(?)女性の哀愁を漂わせながら、容赦なく拳銃をぶっ放す姿は何ともカッコいい。
ハードボイルドを演じながら、時にタバコをくわえて疲れた表情を見せる横顔は、たそがれ感一杯で、これはこれで胸に迫ってくるものがある。
この種の映画にご都合主義は欠かせないところで、マフィアの男たちが弱すぎるのも印象的だが、日本の任侠映画に通じるところがあるので、その辺のパワーバランスは大目に見なければならない。
『レオン』が二人のほのかな恋愛感情の芽生えであるのに対し、本作では孤独な二人が疑似の母子関係を築いていく様が描かれる。
「子どもは嫌い」と言っていた、ウンガロ・ファッションに身を包んだカッコいいヒロインが、徐々に子どもを守ることが全てになり、母性に目覚めていく姿はやはりウルっとしてしまうし、ハッピーエンドで良かったと安堵する。
アクション映画である以上に、ヒューマン・ドラマだったという気がする。

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投稿者: むさじー

映画レビューのモットーは温故知新、共感第一、良品発掘。そして、世間の評価に関係なく私が心動かされた映画だけ、それがこだわりです。やや深読みや謎解きに傾いている点はご容赦ください。 映画は広くて深い世界、未だに出会いがあり発見があります。「いやぁ~映画って本当にいいものだ」としみじみ思います。