『切腹』小林正樹 1962

日本映画が凄かった時代のギリシャ悲劇風時代劇

《あらすじ》寛永7年(1630年)、井伊家上屋敷に津雲半四郎と名乗る浪人(仲代達矢)が訪れ、「切腹のためにお庭を拝借したい」との申し出を受けた家老・斎藤勘解由(三國連太郎)は、先に同じ用件で来た浪人・千々岩求女(石浜朗)の話をした。
この当時、食い詰めた浪人が切腹すると称してなにがしかの金品を得て帰るゆすりが横行していて、それを苦々しく思っていた勘解由は、切腹の場を設けてやると、求女は「待ってくれ」と狼狽したが、勘解由は許さず切腹を命じた。
実は求女には病気の妻と子があって、もとより切腹の意志はなく、刀は竹光だったが引くに引けず、死にきれずに舌を噛み切って無残な最期を遂げたということだった。
話を聞いた半四郎は語りだした。
求女は娘の婿であり、主君に殉じた親友の忘れ形見でもあり、孫も生まれて幸せが訪れた矢先、妻が胸を病んで薬を買う金にも困り、思い余ってそのような行動に出たもの。せめて理由を問う位の気持ちは持てなかったか。武士道とは建前に過ぎないと、半四郎は厳しく詰め寄った。
勘解由は良心の呵責から多少悔いるところはあったが、勇武の家風を持つ家柄なのでゆすりたかりに屈することはないと言い張り、半四郎を思いとどまらせようとしたが、対する半四郎は本当に腹を切る覚悟であると答えた。
そして、介錯人に沢潟、矢崎、川辺の3人を指名したが、揃って病欠だった。介錯は誰か他の者でという勘解由に、半四郎はやおら懐中から三つの髷を取り出した。指名した3人は求女に切腹を強要した者たちで、それを知った剣の達人である半四郎は、復讐として事前に果し合いをして3人の髷を切り落としていたものだった。
あざけり笑う半四郎に家臣たちが殺到し、半四郎は荒れ狂い乱闘になり、多くの死傷者を出すに至ったが、半四郎は土壇場で切腹し、鉄砲によって討ち死にする。
勘解由は、半四郎は見事切腹、家臣の死者は全て病死として公儀に報告し、井伊家の武勇は江戸中に響き、老中から賞賛された。
武士道とは建前に過ぎず、藩の存続こそが最も大切なものだった。

《感想》廃藩し貧困にあえぐ浪人を、武士道の建前で陰険に切腹に追い詰めた家老と、娘婿を残忍な形で殺された老浪人の対決であり、武士道が持つ虚飾性、残酷性へのアンチテーゼの作品である。
その問答はまるでシェークスピア劇のようでもある。
三島由紀夫がかつて「残酷美」と評したように、竹光による切腹シーンは残酷の極みであるし、最後の荒れ狂う半四郎を巡る殺陣はもはや鬼気迫るバイオレンスである。
乱闘後の荒れすさみ血まみれとなった部屋から、スコセッシ『タクシードライバー』のエンディングを思い浮かべる人もいるだろう。
一部に残虐描写への批判はあったものの、カンヌ映画祭など海外で評価され、キネマ旬報ベストテンなど国内でも高評価を得ている。
こういう映画が商業映画として作られていた時代は凄いと思う。

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投稿者: むさじー

名画座通いの昔からネット配信の現代まで、温故知新、共感第一、ジャンル無節操をモットーに選んでいます。 何度も、観る度に感動する映画は大切ですが、二度と観たくない衝撃に出会うのも楽しみです。

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