『肉弾』岡本喜八 1968

戦争の哀しみをシニカルな目と笑いで描く

《あらすじ》昭和20年の夏、魚雷を抱えたドラム缶が漂流し、乗っている“あいつ”(寺田農)はまだ終戦を知らなかった。
あいつは21歳の幹部候補生だが、広島に原爆が落とされ、戦局が危ぶまれる中、特攻隊員にされ、一日だけの外出を許された。
活字が恋しくなって古本屋に行き、両腕をもがれた爺さんと観音様のような婆さんに会った。
女郎屋に行って清らかなおさげ髪の少女“うさぎ”(大谷直子)に会うが、出てきたのは前掛けのおばさんだった。
雨の中に飛び出したあいつは、再びうさぎに出会い、やがて二人は防空壕の中で結ばれた。
翌日のあいつは対戦車地雷を抱えて砂丘にいた。
そこで知り合った小さな兄弟とモンペ姿のおばさん、それと今まで出会った人たち、あいつは死を賭けて守るものが出来たと思った。
だが、その夜の空襲でうさぎが亡くなったことを知った。
それから作戦が変更され、あいつは魚雷と共に太平洋に出て、敵をじっと待ち、終戦を知らないまま日本は敗けた。
まもなく沖合でし尿処理船に助けられ、終戦を聞かされ、船に曳航されながら港に向かったが、ロープが切れて海に取り残されてしまう。
しかしあいつはそれに気づかず怒鳴り散らしていて、それから20年余、海水浴客でにぎわう海に浮いているドラム缶の中で、白骨化したあいつは、未だに怒鳴っていた。

《感想》戦争と笑いというのは、その取り込み方もバランスも難しいと思うが、岡本のそれは絶妙である。戦争がもたらす哀しみ、寂寥感を笑いに変える術を持っている。
学徒動員に始まり、幹部候補生から任官までのエピソードは、“軍隊組織の馬鹿馬鹿しさ”をシニカルに、腹で笑い飛ばしている。
外出が許された出撃前の一日で、様々な人々に出会い、運命の少女に出会い、自分が戦い死んでいく理由を見つけるが、それは叶わなかった。
その切なさ、やるせなさを叫んだまま20年余が過ぎ、白骨化したあいつは何を叫んでいるのだろう。
高度経済成長で豊かさを享受していた時代の若者に、彼が死を賭して向かった思いは届いているのだろうか。
岡本自身の戦争体験や思いが、あいつからのメッセージになっている。
あいつとうさぎ、この二人を見ていると、裸の肉体でしか表現できない感情(切なさ、熱い想い、明日をも知れぬ命)があると思えてくる。
それを演じた寺田の肉体的存在感は際立っているし、大谷の18歳デビューの初々しさもいい。

※他作品には、右の「タイトル50音索引」「年代別分類」からお入りください。

投稿者: むさじー

名画座通いの昔からネット配信の現代まで、温故知新、共感第一、ジャンル無節操をモットーに選んでいます。 何度も、観る度に感動する映画は大切ですが、二度と観たくない衝撃に出会うのも楽しみです。

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