『男の顔は履歴書』加藤 泰 1966

戦後日韓のタブーに切り込んだ人間ドラマ

《あらすじ》場末の診療所の医師雨宮(安藤昇)のところに、交通事故で瀕死の重傷を負った患者が運び込まれた。男は柴田という日本名を持つ本名は崔(中谷一郎)という韓国人で、雨宮と崔は過去に二度出会っていた。
最初は昭和20年、沖縄戦線で指揮をとっていた雨宮は柴田上等兵らと共に闘い、二人ははぐれたまま終戦を迎え、内地に帰ってきた。
二度目は戦後の混乱期。当時は敗戦後の混乱に乗じた外国人たちが暴れ回っていて、雨宮が地主として参加している闇市マーケットも劉成元(内田良平)率いる九天同盟という三国人ヤクザに乗っ取られようとしていた。
劉はマーケットを武力で拡大しようと、至る所から人を集め、その助っ人の中に沖縄ではぐれた柴田、今は本名に戻った崔がいた。
3年ぶりの再会に喜んだ二人だったが、いま二人が置かれているのは敵対する
立場で、これも敗戦がもたらした過酷な現実だった。
雨宮には弟の俊次(伊丹一三)、恋人で看護婦の倉本マキ(中原早苗)がいた。
ある日、血気盛んな俊次が仲間と共に、九天同盟に殴り込みをかけ、同盟側に捕らえられてしまい、崔は雨宮のために同盟を裏切ることを決心し、俊次を救い出して逃げたが、俊次は殺されてしまった。
いまや雨宮も立ち上がる時、ヤクザ組織への復讐戦は戦争そのままの激しい市街戦で、その結果同盟は壊滅した。
だが、8年の刑期を終えて出所し、医師の仕事を再開したときにはマキの姿はなかった。
それから18年、崔と三度目の邂逅を果たした病室に駆け付けたのは、崔の妻となったマキだった。
妻子が見守る中、手術に臨むところでエンド。

《感想》映画の冒頭に「この映画は敗戦後の混乱を描いたフィクションであり、民族間対立のない平和な未来を願う」という趣旨の文章が流れる。
単に民族間抗争劇にせず、被虐者側の苛立ちと絶望という根深い問題を露わにし、そこから正邪善悪だけでない人間のドラマを作ろうとしている。
戦後の闇市マーケットをめぐる、在日朝鮮人と日本人の争いが描かれているのだが、日本名を使って従軍した戦時や、韓国名では肩身が狭い現状、根強い被害者意識など、日韓の深く重いテーマを前面に押し出している。
これは脚本・星川清司の仕事のような気がする。星川は小津を師と仰ぎ、大映では雷蔵・三隈研次・星川でトリオを組み『眠狂四郎』シリーズを作っていて、’89年に直木賞を受賞後は作家専念の生活に入っている。
タブー視されていたテーマに取り組む難しい仕事だったろうという気はする。
まずは安藤というスターが主演する娯楽作という前提があり、ベースとなる任侠映画のパターンの中に、テーマである民族間の軋轢と、観客が求める悲恋のドラマを加えたという印象がある。
また、崔や李恵春(俊次の恋人)という善良な三国人を登場させるあたりに、問題作となることを避けようという意識が働いているようにも思える。
制作趣旨として「未来志向」「和解志向」を挙げているが、現実を直視し、正面から描いた、骨太なヒューマンドラマになっている。
なお、加藤泰が初めて松竹で撮った作品で、内容が異色なだけに、加藤泰らしい映像表現は極力抑えられている。

※他作品には、右の「タイトル50音索引」「年代別分類」からお入りください。

投稿者: むさじー

名画座通いの昔からネット配信の現代まで、温故知新、共感第一、ジャンル無節操をモットーに選んでいます。 何度も、観る度に感動する映画は大切ですが、二度と観たくない衝撃に出会うのも楽しみです。

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