『さびしんぼう』大林宣彦 1985

“感傷”が死語でなかった時代の青春ファンタジー

《あらすじ》寺の息子である高校2年生・井上ヒロキ(尾美としのり)には、ピアノを強要する教育ママの母タツコ(藤田弓子)がいる。
趣味はカメラで、そのファインダーを通して、隣の女子高でピアノを弾くマドンナ・橘百合子(富田靖子)を追いかけていて、その寂しげな横顔から秘かに「さびしんぼう」と名付けていた。
月に1度の本堂の大掃除の日、親友の応援を得てやっているうち、母親のアルバムの写真を散らかしてしまい……(実は1枚だけ回収できなかったことが、この後の大きな伏線になる)。
その日から、ヒロキの前に、ダブダブ服に白塗りメイクの“さびしんぼう”(富田の二役)と名乗る女の子が現れるが、最初はヒロキにしか見えず、他人には独り言にしか見えなかった。
しかし、祖母には“さびしんぼう”が見えるらしく、それはヒロキの母タツコだと言い、母タツコにも“さびしんぼう”が見えるようになる。
ヒロキと百合子の出会いは、彼女が自転車のチェーンが外れて困ったときにおとずれる。自宅近くまで運ぶのを手伝うが、自分のことを知っていたと言われ幸福な気分で帰宅した。
そしてバレンタインデーの日、百合子からチョコが届くが、お別れの手紙が添えられていた。
白塗りの“さびしんぼう”は17歳になる前日、ヒロキに別れを告げるが、もはやタツコであることを隠さず、この格好は恋して失恋した女の子の創作劇だと話した。
やがて二人の「さびしんぼう」との別れが訪れる。百合子には『別れの曲』のオルゴールをプレゼントする。
そして雨降る中、寺に戻ると“さびしんぼう”が待っていて、ヒロキが濡れた彼女を抱き寄せ、気がつくと“さびしんぼう”は消えていた。
翌朝、タツコは階段で自ら演じた16歳のときの写真を発見する。ヒロキがのぞくと、それは白塗りの“さびしんぼう”だった。
十数年後、寺を継いだヒロキの隣には百合子そっくりの妻がいて、ピアノを弾くのは百合子似の女子高生で、側にはあのオルゴールが置かれている。

《感想》「さびしんぼう」は大林の造語で「人を愛することは淋しいこと」という大林の感性が生んだもので、大林ならではの感傷的な青春ファンタジーである。
写真から生まれた“母親の少女時代の化身”を通して、母親の“さびしんぼう”だった時代と、今を生きる主人公の青春が交錯するという物語。
母親が、自分が高校時代に演じた創作劇の話をする。
「さびしんぼうという少女が、勉強ができてピアノも上手な同級生に恋をするが結ばれず、長じて平凡な結婚をし、生まれた子どもにかつての好きな人の名を付けた」というもの。
そんな母について、普段は寡黙な父が「母さんのことはすべて好きで、彼女の思い出もすべて受け入れる」と雄弁に語る。
初恋は誰もが経験するとして、恋が成就する人は稀なはずで、多くは胸に秘めながらも、平凡な結婚をし、やがて老いていくもの。
人間の営みとはそうしたもので、「淋しさ(人を愛したこと)」がもたらす隠れた幸福感というのもあるはず、と思えてくる。
十数年後のヒロキの隣にいたのは、果たして百合子だったのか?
「もしや」と思ったりしたが、単に似たような人と結婚して、という結末だろうと思う。その方が、この切ない物語のエンディングにふさわしいから。

※他作品には、右の「タイトル50音索引」「年代別分類」からお入りください。

投稿者: むさじー

名画座通いの昔からネット配信の現代まで、温故知新、共感第一、ジャンル無節操をモットーに選んでいます。 何度も、観る度に感動する映画は大切ですが、二度と観たくない衝撃に出会うのも楽しみです。

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