偏屈老人が移民家族との交流から選んだ最期
《公開年》2008《制作国》アメリカ
《あらすじ》ウォルト・コワルスキー(クリント・イーストウッド)は朝鮮戦争の帰還兵で、偏屈な男の一人暮らし。隣にアジア系移民の家族が越してくるが、偏見を隠さないウォルトとは反りが合わない。
その中にスーとタオという姉弟がいて、従兄のスパイダー率いる不良グループに脅され、タオがウォルトの宝物「’72年型グラン・トリノ」を盗みに入り失敗する。
そして姉スーが黒人不良グループにからまれたのをウォルトが助け、親しくなったスーの誘いで隣家の食事会に招かれる。
気まずい雰囲気だったが、フレンドリーな接待に「どうにもならない身内より、この連中の方が身近に思える」と呟く。
その席で喀血し、病院で診察を受けると、肺がんと言われ余命幾ばくもないことを知る。
盗みに入った詫びにタオを働かせて欲しいと母親から請われ、家の修繕など手伝わせるうち、働く喜びに目覚めたタオを、ウォルトは建設現場の仕事に就くよう世話し、道具まで貸し与えた。
しかし、不良グループの嫌がらせが再燃し、ウォルトが代わりに仕返しをしたばかりに争いが更に加速して、タオと家族の命の危険さえ感じる状況になってしまう。
そしてタオの家への発砲事件とスーへの暴行事件が起きて、タオは復讐に向かおうとするが、ウォルトはタオを地下室に閉じ込め、一人で決着をつけるため、不良グループの住処に向かう。
周辺住民の監視のもと、全員に銃を向けられたウォルトは、煙草を口にくわえ、ライターを出そうと胸に手を入れ、手を抜いた瞬間、一斉に撃たれ絶命する。ウォルトの手にはライターが、そして丸腰だった。
不良グループは全員、長期刑に送られ、ウォルトの愛車「グラン・トリノ」はタオに送られた。
《感想》この偏屈老人の口からは差別用語が飛び交い、目には目をというアメリカ式男らしさを主張する。
しかし、「人殺しは最悪」と戦場で認識したウォルトにとって、それまでの(西部劇以来伝統の)アメリカ式身の処し方、報復の連鎖は負のスパイラルしか生まないことが分かっていた。
しかも、今回の事件は自らの軽率な行動が元になっている。そこでウォルトは、復讐の連鎖から姉弟を守るため、スーへの償いのために、不良グループをこらしめようと、命を投げ出す覚悟をする。
と、このラストシーンが感動を呼んでいるようなのだが、果たしてベストな選択であったのか、疑問に思える。
家が破壊され、女性が暴行され、となれば法的に追い詰め処罰する手段は十分あるはずなのに、余命短い男が“死ぬ意味を求めて”となると、やはり西部劇に近い英雄像の描き方かな、という気がする。
気骨ある老人の生き方(死に方)は、どこか日本の「武士道」「葉隠」の精神に近いものも感じるが、法治国家における暴力への対処としては、素直に感動できないものが残ってしまう。
でも、国粋主義の孤独な老人と異邦人家族の交流には温かいものを感じた。
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