『わたしのSEX白書 絶頂度』曽根中生 1976

堕ちて流され、解放されていく

《あらすじ》病院の採血係をしているあけみ(三井マリア)は、予備校生の弟・キヨシと二人暮らしをしていて、姉弟関係以上の性愛の感情を抱いている。
向かいのアパートにはストリッパーのリリィ(芹明香)とヤクザのヒモ・隼人(益富信孝)が住んでいて、二人のセックスをあけみが覗き見しているのを知っていた隼人は、あけみに売春のアルバイトを持ちかける。
あけみには弁当屋の婚約者がいるのだが、性的には満たされていなくて、斡旋された客とのセックスにどんどんのめり込んでいく。
リリィは隼人とあけみの関係を浮気と思い込み、その腹いせにキヨシを誘惑するが、キヨシには逃げられてしまう。
隼人とあけみの浮気現場に踏み込んだリリィは二人に水を浴びせるが、隼人は意に介さず、写真に撮るよう命じ、その命令にすねたリリィも行為に加わってしまう。
こんな展開で、あけみの二重生活は続き、どこか乾いている風の三人の関係も続きそうで、いつものように採血をしているあけみの姿でエンド。

《感想》このタイトルで少し引いてしまうかも知れないが、ぜひ観て欲しい映画。ロマンポルノは一部作品を除いて、何となくスルーしてしまう映画が多いが、本作は引っ掛かった感じである。
脚本の白鳥あかねは、「1950~60年代のアントニオーニ、パゾリーニのようなイタリア映画への憧れ」を言っていて、それとなく感じさせる点はある。
具体的には不明だが、ビルが巨大な鉄球で破砕される様には、何かが崩れていくものを感じるし、採血のシーンには身体から何かが抜けていく感覚があるが、それが何かを象徴し、あるいはイメージしていたのか……?
ただ、社会に対する無力感や倦怠感、抱える不安や孤独は十分に感じさせる。
あけみが持つ人間の二面性、その故に彼女は抑えきれない情欲から娼婦の世界に堕ちていき、その裏には繋がりきれない人間の不安や孤独があり、それを救ったのが、うわべの愛でなく、繋がりを実感できる性愛であった。ただこの繋がり方も切ない。
映像は実験的かつ情緒的、流れる音楽は昭和のロック(コスモファクトリー)でとてもマッチしていて、ボロなアパート、病院の裏手はビルの解体現場という荒涼とした風景の中で、昭和の日々の暮らしが営まれている。
ヒロインの三井マリアは、アンニュイな雰囲気が魅力的な美形で、地味な印象だが、曽根のアブノーマルな世界で静かな存在感を放っている。この主演作1本のみで引退している。
益富はこれ以上ないというヤクザ顔、それに芹明香が加わると、淫蕩・嗜虐的な性世界はリアリティを持ってほぼ完成する。
70年代ロマンポルノを代表する1本である。

※他作品には、右の「タイトル50音索引」「年代別分類」からお入りください。

投稿者: むさじー

名画座通いの昔からネット配信の現代まで、温故知新、共感第一、ジャンル無節操をモットーに選んでいます。 何度も、観る度に感動する映画は大切ですが、二度と観たくない衝撃に出会うのも楽しみです。

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