“銃から法治へ”そんな時代の寂寥感漂う西部劇
《公開年》1962《制作国》アメリカ
《あらすじ》アメリカ西部の小さな町シンボーンを、上院議員ランス(ジェームズ・スチュワート)と妻ハリー(ヴェラ・マイルズ)が訪れる。
目的は友人トム・ドニファン(ジョン・ウェイン)の葬儀のためで、地元の新聞記者に問われるまま、1880年代を回想する。
当時青雲の志に燃えた弁護士ランスは、東部から西部に来る途中、無法者リバティ・バランス(リー・マーヴィン)の一味に襲われ重傷を負い、トムに救われ、食堂の娘ハリーの看護で命拾いをした。
当時、ハリーとトムは恋仲で、トムは結婚に向けて家を建てていた。
この地方はまだ準州で、州昇格運動を巡って、牧場主らの反対派との対立があり、バランスは反対派の手先となって住民を脅かしていた。
町の新聞社主ピーボディは半殺しの目に合い、ランスは持ったことのない拳銃を握って立ち上がる。
バランスとの1対1の決闘になり、ランスは腕を撃たれたが、次の銃声で倒れたのは意外にもバランスだった。
負傷したランスと、それを手当てするハリー、その姿を見てトムは二人が愛し合っていることを知り、結婚のために作った家を自ら焼いてしまう。
州昇格運動代表を選ぶ大会で、ランスは“リバティ・バランスを撃った男”として代表に選ばれたが、暴力を否定する彼は人殺しを恥じて断った。
がそこにトムが現れ「自分が横合いからバランスを撃った(それはハリーを悲しませないために)」と告げ、ランスをワシントンに代表として送り出す。
ランスは後に出世し、ハリーと結婚して思い出の地に戻った今、ここに再び帰ってくることを誓い、去って行く。
《感想》ジョン・フォードとジョン・ウェインのコンビ最終作品で、西部劇としては異色作である。
ヒーローが悪人と直接対峙する構図ではなく、悪人対暴力を否定する新米弁護士なのだが、そこにガンマンのトムが割って入って、トムの恋人だったハリーとの三角関係が生じる。
身を引く覚悟をしたトムは、想いを寄せる女性ハリーの幸せを願って行動を起こし、結果的にランスはトムの恋人を奪うことになってしまう。
そこまで判って初めて、導入部の上院議員夫妻が、名もない男トムの葬儀に訪れた理由も、三人の微妙な関係も理解できることになる。
西部劇の爽快感は薄いが、三人の過ぎた人生を思うと、夫婦間の複雑な思いの錯綜が見えて、ヒューマンドラマとして味わい深い。
次の二点が現代アメリカの姿と重なり、印象に残った。
1)リバティという名の悪人がいて、敵対する新聞社主から「リバティが報道の自由(リバティ)を奪おうというわけか?」と言われる。今、報道の自由は守られているのか。
2)“銃だけが正義”の時代から“法秩序”の時代へと移り変わっているはずだが、いまだに「銃規制」が論議されている現実をどう見るか。
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