狂気から生まれた倒錯の愛は破滅に向かう
《公開年》1974《制作国》イタリア
《あらすじ》1957年のウィーン。元ナチス親衛隊将校だったマックス(ダーク・ボガード)は今、二流ホテルの夜のフロント係をしているが、そこに若手指揮者夫人・ルチア(シャーロット・ランプリング)が訪れる。
突然の再会に二人とも困惑するが、ルチアにはナチスの捕虜として死の恐怖の中を生き、他の者たちが殺される中で、マックスの倒錯した性の愛玩具となることで生き延びた過去があり、マックスは自分たちの悪業が暴かれないよう、証言する可能性のある者を闇に葬り、ひっそりと戦後を生き抜いてきた。
マックスは「何でここに来た」とルチアを殴るが、激しくもみあううちに、二人にかつての性の営みが蘇り、二人の関係が復活してしまう。
ルチアにとって収容所時代の悪夢のはずだが、マックスによって甦った性の記憶や身体に刻み込まれた過去は、彼女の意識を凶暴に支配し、マックスとの絶望的な関係に進んで身を投じていく。
一方のマックスも、ナチの残党で構成する秘密組織の一員として、生き証人ルチアを始末しなければならない立場にありながら、ルチアとの関係に溺れ、鎖で部屋に監禁する。
二人が繰り広げる性行為は、彼らの禁断の過去の再現であり、それは過去を生き直すことによって、過去の呪いを振り払おうとしているかのようである。
どこかで逃げ出そうと思えば、それが出来るはずなのに、倒錯に向かって酔いながら、共に堕ちていく道を選んでしまう。
常に見張られながらの籠城生活で食料も底をつき、ある夜、ナチスの制服を着たマックスと、収容所時代のようなワンピースを着たルチアは車で外出する。
車がドナウ川にさしかかり、車を捨て橋を歩き始めた二人に尾行者からの銃声がして、二人は崩れるように倒れエンド。
《感想》拷問者と被拷問者の関係だが、男女であり、性が介在すれば異常なまでの濃密な関係が生まれる。女は男の歓心を買うように迎合し、男は女が提供するエロスへの褒賞として、彼女が嫌っていた男の生首を与える。
そんな壮絶な過去を生き抜いて(というより、収容所という絶望的に隔絶した空間の中で死に損ねて)現在がある。
マックスにとっては収容所時代に人生の頂点を迎え、そこで人生が一旦完結していて、今は残り火のような暮らしをしている。
一方のルチアも、かつての地獄の体験の中で歓びを植え付けられ、今は上流婦人として生活しながらも、あの体験に比べれば実体のない架空の生に過ぎなかった。
反ナチというメッセージ性は薄く、異常な環境から生まれた倒錯した愛、退廃とか虚無とかに支配された愛、そして(正直、理解は及ばないが)“究極の純愛”を描きたかったということか。
ルキノ・ヴィスコンティが絶賛したというイタリア・デカダンス映画の傑作。
女性監督らしい女性目線のエロス観というのを強く感じる。
ナチス将校の帽子にサスペンダーでズボンをはき、半裸で踊るランプリングの姿が印象的だが、影のある二枚目ダーク・ボガードの妖しげで渋い演技も魅せる。
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