『乾いた花』篠田正浩 1964

モノクロ映像美で描く戦後日本の渇望

乾いた花

《あらすじ》ヤクザ同士の争いから人を殺し、3年ぶりに出所した村木(池部良)は、賭場で不思議な若い女・冴子(加賀まりこ)に出会う。
表情を変えずに淡々と大金を賭ける冴子に、村木は感情の昂ぶりを覚え、偶然の再会が二人を近づける。そして何か近しいものを感じ惹かれ合う。
冴子は「生きるって退屈」と言い、ギャンブルでしか生の充足を得られず、日常生活の刺激では満足できなくなっていて、生を実感できずにいる村木は、自分と似ている冴子に愛のような感情を抱くようになる。
冴子の素性は徐々に明らかになっていく。
スポーツカーを乗り回し、命がけのカーレースをやって、やがて麻薬に手を出し、必死になって生の充足を得ようとしている大金持ちのお嬢様だった。
村木と冴子は何度も賭場に足を運ぶが、二人が賭場で気にしていたのが、中国帰りで殺しと麻薬だけに生きている死神のような葉(藤木孝)という男で、危険な匂いを発していた。そして冴子は葉に接近していく。
一方の村木は縄張り争いに巻き込まれ、再び刺客の役を引き受けることになるが、冴子から「麻薬に手を出し、それ以上刺激的なものが無ければ引き戻せない」と言われ、村木は「殺人を見せてやる」と告げる。
その舞台は名曲喫茶。殺しの一部始終はBGMのオペラアリアにかき消され音もなく終わる。それを冴子は瞬きもせずじっと見つめていた。
そして2年。村木は刑務所の中で、冴子が葉に麻薬中毒にされ亡くなったことを聞く。「死んだと聞いた今でも、俺は冴子に飢(かつ)える」と心中で語りエンド。



《感想》原作は石原慎太郎。都会の不良が起こすアンニュイ・アンモラルな行動は、『狂った果実』と同様、この当時の石原のカラーだったようだ。
それと対照的な存在として登場するのがヤクザな男で、二人の間には性関係を超越した男女の愛(?)というのがあるらしい。
村木のストイックさ、ニヒリズムからそれらしいものは窺えるし、篠田のスタイリッシュな映像もそれらしく演出しているが。
象徴的な見方をすれば、冴子は敗戦によって生の目的や拠り所を失った戦後世代の象徴であり、村木は戦争を通して国からの絶対服従を強いられた戦中世代の象徴なのだろうか。
そんな世代間の感覚のズレを感じつつも、共通しているのは生への渇望。そこに“性を超えた愛”を見つけたいのだろうが、かなり深読みしないとたどり着かないというのが本音である。
そんなことよりも、殺しとオペラという組み合わせが衝撃である。
コッポラやスコセッシは本作を高く評価しているらしい。
ラストの名曲喫茶での殺しのシーンで流れるのは、パーセルのオペラアリア。コッポラ『ゴッドファーザーPartⅢ』で、マイケル・コルオーネ(アル・パチーノ)が、息子のオペラ歌手デビューを終え、終演後銃撃を受けて愛娘を失う悲痛な姿に重なって流れるのが、公演曲だった『カヴァレリア・ルスティカーナ』の間奏曲だった。
より劇的に、そして悲痛な思いを増幅させる効果は十分に感じられる。
本作は面白いドラマだが、半世紀を経た現代に訴えかけるものがあるかと言えば、答えに窮する。この時代が持っていた空気感のようなものが濃密で、人物像そのものの描き方は浅薄、とは言えようか。
何よりクールでスタイリッシュ、当時の先端を行っていたであろうモノクロ映像美を味わうべき映画である。

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投稿者: むさじー

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