『ある戦争』トビアス・リンホルム

“戦場の正義”を問う裁判劇の虚しさを描く

《公開年》2015《制作国》デンマーク
《あらすじ》母国デンマークに妻子を残し、タリバン圧政下のアフガニスタンに派遣され、平和維持活動にあたるデンマーク軍兵士。それを率いる隊長ペダーソン(ピルウ・アスベック)たちの戦場での活動と、祖国で待つ妻子の生活が交互に描かれる。
ある日、地方の村を訪れたペダーソンたちは、敵の急襲を受けて空爆による支援を要請するが、その支援攻撃によって11人の民間人が犠牲になった。
命令を下したペダーソンは軍事裁判にかけられるが、論点は空爆地区にタリバンがいることを事前に確認したか否か。
隊員思いのペダーソンは、銃撃戦の中、仲間の一人が首を撃たれて瀕死の状態に陥り、たまらず支援要請をしたのだが、判断力が欠けていなかったか、確認した上での行動だったかが裁判で問われることになる。
冷静な判断であったか自信はなく、歯切れの悪いペダーソンの弁明で、不利な方向で進んでいた裁判だったが、起訴から6か月、通信兵の「光る銃口を見た」という証言(偽証)で逆転し無罪になる。
隊員も家族も喜びに沸くが、ペダーソンには喜びに浸れない思いがある。
基地に逃げ込んで来た家族を追い返し、その結果殺された子どもと、今、毛布を掛けてあげた息子の姿が重なってしまうからである。

《感想》本作のテーマは「戦場において正義はあるか」と言われているが、戦場の大混乱の中で、敵兵を冷静に確認した上で応戦する、一般市民を絶対に巻き添えにしない、これらに完璧を期すことなど果たして可能であろうか。
そのことを裁判で断じることに、この反戦映画の逆説的な意味がある。
戦争に正義や倫理を問う意味はなく、この裁判そのものが茶番であることを示し、予定調和で終結する国のイベントの一環であることを露呈させている。
だから検事の主張は虚しく空回りし、被告は抗弁に苦慮し、思いきり後味の悪い映画になっている。
戦場シーンはドキュメンタリータッチで、終始加害者目線で描かれ、射殺した敵の死体を囲んで談笑するシーンには、制作者のやり切れなさも感じ取れる。
偽証によって得られた無罪と、それに伴う安堵感と罪悪感。だがそれを責める権利は誰にもない。
戦争における正しさを問うことの虚しさ、それを知っていながら法律に則って裁判をしなければならない現実もまた虚しい。
映画にドラマチックな展開はなく、物語は淡々と進み、何のカタルシスもなく終わるので、やや退屈した感は否めない。だからと言ってメッセージが弱い訳ではなく、ずっしりと重く響く。

※他作品には、右の「タイトル50音索引」「年代別分類」からお入りください。

投稿者: むさじー

名画座通いの昔からネット配信の現代まで、温故知新、共感第一、ジャンル無節操をモットーに選んでいます。 何度も、観る度に感動する映画は大切ですが、二度と観たくない衝撃に出会うのも楽しみです。

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