自然崇拝か文明社会か。理想の子育ては?
《公開年》2016《制作国》アメリカ
《あらすじ》冒頭は子どもによる狩猟のシーン。ベン(ヴィゴ・モーテンセン)はアメリカの森の奥深くに6人の子どもと暮らしている。
自給自足で、子どもは学校に行かず、父の独自の教育によって知識とたくましい運動能力を身に付けていた。
しかし躁鬱という精神を病んでいた母が自殺して、父子は母の死を見送るため2400キロ離れたニューメキシコまで旅に出るが、社会と隔絶した中で育った彼らは行く先々で騒動を起こし、次第に今まで絶対だった父親の考え方に疑問を持ち始める。
長男は名門大学に合格し、二男は祖父の元で暮らし学校に通いたいと訴え……ベンも自分の指導に自信を失いかける。
「すべては悪気のない過ちだった」と告げ、子どもたちを祖父宅に残して(長男はアフリカへ一人旅立ち)バスで去ると、着いた先で隠れていた子どもたちが顔を出し、再び家族一緒に暮らすことになる。
ただし、森ではなく里に暮らし、皆学校に通い、バスは鶏小屋に改装して、フツーの暮らしに近づいてエンド。
《感想》映画を観ながら、屋久島に住んだ詩人・山尾三省と子どもたちの確執を描いたドキュメンタリーを思い出した。
この映画でも、ノーム・チョムスキーという哲学者にしてアナキストという人物が教祖のように描かれている。
観た直後の素朴な疑問は以下の2点。
1)シリアスなのかコメディ(ファンタジー)か。狩猟と野山の体力修練、実在の哲学者を祖とした英才教育ぶりはなかなかリアルに描かれる。それに対して、「食べ物を救え」とスーパーで万引きしたり、母親の遺体を掘り出し勝手に火葬するのは明らかに現実離れしている。
2)中途半端な結末でいいのか。山奥から里山に移住し、文明社会と自然崇拝の両立を狙っている。でも子どもたちが望んだのが文明社会と家族(父と共に暮らす)の両立だから、これは妥協点でやむを得ないかとも思う。
表現が極端(シリアスとコメディの二方向)だから観客を混乱させるところはあるが、あるいは作り手の狙い通りなのかも知れない。
育児や教育は親の役割で理想もあるが、最終的に決めるのは子ども自身だから、親は子にそのどちらでも生きていける術を教えるべき、という結論か。
そして、文明に毒されて見失ったものを取り戻すには?(教育を含めて)親子、家族のあり方は?と問いかける。
表現が少し乱暴で、破綻は感じられるものの、直球勝負の潔さを評価したい。
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