『シークレット・ルーム / アイ’ムホーム 覗く男』ロビン・スウィコード

家族か、それとも自由か。逡巡の末の結末は?

《公開年》2016《制作国》アメリカ
《あらすじ》弁護士のハワード(ブライアン・クランストン)は、電車の停電によって帰宅が遅れ、妻と喧嘩していたこともあって、ガレージ2階の納屋から家族の様子を覗いているうちに寝てしまい、そのまま出るに出られず、仕事にも行かず、そこで暮らし始めてしまう。
妻(ジェニファー・ガーナー)は、当初は失踪(あるいは事故)かと熱心に捜していたが、娘たちと三人の新しい日常に戻っていく。
男(ハワード)も寝場所はあるもののホームレス同然の暮らしに次第に馴染んでいき、自分とは、家族とは……と考え始める。
そして男は「むしろ自分は正気を取り戻した」と思うようになる。
「嫉妬、怒り、自業自得の切迫感、惨めな自分、攻撃的な自分、世界の中心にいる自分……全てを味わい理解した。それらが私の牢獄であり、逃げ出した自分なのだ。そして今の私は宇宙の放浪者だ」。
妻や家族に対しては覗くだけの一方通行の関係になり、関わってくれるのは隣家に来るダウン症の少年と発達障害の少女のみだった。
高熱を出し、この二人の助けを得て、一人では生きていけない、家族の大切さに気付き、男は元に戻ろうと決心する。
古着をまとい、散髪を済ませ、ビジネスマンの元の姿に、一つずつ順番に社会復帰していく。
そして何事もなかったかのように家の玄関に入り「ただいま!」と告げる男を振り返って見る家族の姿でエンド。果たして受け入れてもらえたのか?

《感想》ネットでの評価は散々だが、意外な拾い物という気がする。
「もっと早く気付けよ!」という気はするが、男が得てしまった解放感、自由がもたらす悦楽、これを失う辛さもある、ような。
でも、ごみ箱を漁る暮らしに、弁護士という社会的成功者がそうそう馴染めるものなのか? そこは寓話の世界なのかも。
家族がもたらす幸せと、男のアイデンティティを巡る相克である。
どんな終わり方をするのか気になって観続けたが、観客に委ねるというエンディングで、むしろ「やられた」という感じを持った。
“愚か”と言えばそれまでだが、この状況設定は面白い。
誰しも興味ある「仮定(もしも……)」だし、エンディングの後を想像する楽しみも与えてくれた。
アメリカ映画なのだが、内省的で渋めのイギリス映画の雰囲気を持っている。
ロビン・スウィコードは、前作『ジェイン・オースティンの読書会』では、女性監督らしい、文学寄りの女性目線を感じたが、本作では、哲学寄りの男性目線がうかがえ、更に観てみたい監督ではある。

※他作品には、右の「タイトル50音索引」「年代別分類」からお入りください。

投稿者: むさじー

名画座通いの昔からネット配信の現代まで、温故知新、共感第一、ジャンル無節操をモットーに選んでいます。 何度も、観る度に感動する映画は大切ですが、二度と観たくない衝撃に出会うのも楽しみです。

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