『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』ジャン=マルク・ヴァレ

愛を、自分を確認するため破壊し尽くした男の再生物語

雨の日は会えない、晴れた日は君を想う

《公開年》2015《制作国》アメリカ
《あらすじ》エリート銀行員デイヴィス・ミッチェル(ジェイク・ギレンホール)は、会社の社長の娘で妻のジュリアを、同乗した車の事故で失うが、全く悲しみが湧いてこない。
病院の自販機がうまく作動しないことに腹を立てた彼はクレームとともに、今の心情を書き綴り、自販機会社に送りつけ、そこの苦情係でシングルマザーのカレン(ナオミ・ワッツ)、その息子で15歳のクリス(ジューダ・ルイス)母子と親交を深めるようになる。
義父で社長のフィルから「壊れたものは一旦分解してみるしかない」とアドバイスを受け、勤務先のトイレ、パソコン、自宅の冷蔵庫と次々に解体していく。
解体の行動はさらにエスカレートし、住宅解体現場の作業を手伝い、とうとう自宅まで解体するに至った。
最後に残った妻のドレッサーから見つけたものは、妻が秘密裏に子どもを中絶していた証拠で、両親を問い詰めると「デイヴィスの子ではないから……」という答えだった。
一方、クリスが町で言いがかりをつけられリンチに会うという事件が起こり、デイヴィスもカレンの恋人カールに殴られてしまう。
そんなカールとの打算的な関係のストレスから、カレンはドラッグ常習者になっていて、他者とのコミュニケーションを必要としていた。
妻の墓参りの帰り、車のサンバイザーから見つけた妻のメモ「雨の日は会えない、晴れの日は君を想い出す」。
それを見てデイヴィスは、たとえ浮気していたとしても妻は自分を愛していた。自分は妻との関係をおろそかにしていたと涙を流す(と解釈した)。
そして、解体する予定で放置されていた、妻との思い出のメリーゴーランドを復元させ、義父母を招いて楽しいひとときを過ごしてエンド。



《感想》原題の日本語訳は「破壊」。
妻を亡くした一人の男が迎えた転機、それを乗り越えるために必要だったのが、まるで自分を解体するかのように、周囲のものを次々と解体・破壊していくことだった。
失った妻の存在を仮の家族で補おうとし、破壊の後に、娘を失った両親のために小さな再生を試みるまでに変化していく。自分の本当の心を取り戻すまでの心の動きを淡々と描いている。
そして、再生したメリーゴーランドは妻との思い出を蘇らせ、その両親に喜びをもたらし、シングルマザーと息子の不良少年の生活にも転機を招いた。
妻から愛されていたという自信もないし、妻を愛していたという確信もない。描きたかったのは、目に見えない(確信が持てない)が故の、手探りのそれぞれの愛の形だという気がする。
妻のメモを見たときのデイヴィスの感情とか、これからどうなるのかとか、多くを語っていないので、解釈は観客に委ねるということだろう。
細かい伏線が張り巡らされていて多くを語らない、全容を理解し難いところはあるが、奥深さと全編優しさに満ちた映画だった。

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投稿者: むさじー

映画レビューのモットーは温故知新、共感第一、良品発掘。そして、世間の評価に関係なく私が心動かされた映画だけ、それがこだわりです。やや深読みや謎解きに傾いている点はご容赦ください。 映画は広くて深い世界、未だに出会いがあり発見があります。「いやぁ~映画って本当にいいものだ」としみじみ思います。