何のために?生きにくい時代への警鐘
《公開年》2009《制作国》カナダ
《あらすじ》1989年12月、カナダのモントリオール理工科大学での銃乱射事件を基にしているが、登場人物はフィクションという断り書きから入る。
そして、犯人の若者(名前は設定されない)、真面目な女学生ヴァレリー、正義感に熱いジャン。主要人物のバックボーンを、時間軸を巧みに操作しながら描いていく。
犯人(マキシム・ゴーデット)は軍を社会性欠如で除隊させられ、士官候補生に残れなかったのは、女性が特権を行使したからで、故にフェミニストは嫌い、フェミニズム反対と犯行に及び、14人の女性を殺害し、後に自殺した。
ヴァレリー(カリーヌ・ヴァナッス)は機械工学のインターン志望で就職面接に臨み、面接官から出産の可能性について言及され、仕事と子育ての両立という女性としての難題に直面する。事件に巻き込まれるが、かろうじて生き延びる。
ジャン(セバスティアン・ユベルドー)は真面目だが勉強は得意ではなく、ヴァレリーのノートに助けられている。そんなヴァレリーや友達を救えなかったこと、無力感や自責の念から自殺してしまう。
事件の後にヴァレリーは妊娠が発覚し、戸惑いながら死んでいった友人のことや、今後の不安に悩むが、産むことを決意する。
そして数年後、念願の航空会社に就職したヴァレリーは、事件の後遺症を引きずりながらも、再生の道を歩き始めている。
《感想》この犯行は理不尽であり、不条理であり、犯行の動機が理解し難い。
フェミニスト(ヴァレリーとジャン)がいて、その対立軸に犯人と就職面接官(資本主義社会)がいるように見えるが、そういった構図だけでなく、社会から排斥されて孤立している若者(犯人)のその矛先は、社会全般(フェミニズムを含む)に向けられるという、より複雑な対立の構図になっている。
社会から疎外された若者が犯行に走り、犯行からは逃れたが被害者を助けられなかった者は自責の念に苦しむ。一方で、資本主義の激烈な競争の中では、女性の生きにくさはなかなか改善されない。
若者や女性に優しい社会であったなら、このような犯罪が起きることもなく、フェミニズムが社会発展の阻害要因であるかのような扱いを受けることもない。
そんな社会との闘いの中で滅んでいった(あるいは闘い続けている)者たちの無念さこそ描きたかったものであり、メッセージであると解した。
時間軸を前後させて、静かに徐々に明らかにしていく展開は、サスペンス風であり、思わず身を乗り出す。
さらにモノクロで、極端にセリフは少なく、その情報量の少なさが、より映像に引き込んでいく要素でもある。これがカラーだったら、衝撃が強すぎて目を背けていただろう。
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