人間のエゴや保身が真相を隠し、謎を深めていく
《公開年》2009《制作国》イラン
《あらすじ》別荘地を訪れた大人8人、子ども3人のグループ。大人は三夫婦とアーマド(シャハブ・ホセイニ)という男性、エリ(タラネ・アリシュスティ)という保育士の女性で、最近離婚したアーマドにエリを紹介するというセピデー(ゴルシフテェ・ファラハニ―)の目的があった。
予約トラブルから予定していたコテージではなく、海辺の朽ちかけた別荘に落ち着いた一行だったが、子どもが溺れかけるという事件が起きる。
幸い助けることができたが、子どもの見張りをしていたエリが消えてしまったことから大騒ぎになる。
救助で海に入り溺れてしまったのか、それとも三家族に嫌気がさして勝手に帰ってしまったのか。
大人7人の推論と詮索が行き交う中、エリを誘ったセピデーから秘密が明かされていく。
「1泊で帰りたい」というエリを、ボストンバッグや携帯電話まで隠して引き留めようとした理由、エリには婚約者がいてそれを解消したい気持ちでいたことなど……。もめているうちにエリの婚約者アリレザが現れる。
おせっかいおばさんセピデーの嘘で混乱させられるが、やがてエリが水死体で発見され、婚約者が泣き崩れてエンド。
《感想》ほとんどが海辺の別荘地で、物語は会話だけで進むという演劇的、密室型推理劇。
イラン映画は政府の検閲が厳しく、作り手は表現に試行錯誤しているようだから、表現に含みがあったり、心理描写もより繊細なものになる。
劇中に出てくるセリフ「永遠の最悪より最悪の最後の方がまし」が印象に残る。戒律厳しいイランで、婚約解消が難しい現実を悲観しての自殺を示唆しているようにとれる。
もちろん単純に子どもを助けに海に入り溺れたという解釈も出来るが、その辺は明らかにしていない。
三家族ともエリを温かく迎え入れ、エリも打ち解けているように見えたが、エリには「早く帰りたい」という本音があり、家族との距離もあった。
三家族にしても、エリ失踪の責任が降りかかりそうになると、口裏を合わせて嘘をつく、責任を押し付け合うようになり、本音が少しずつ出てきて、ドロドロしたいがみ合いになってしまう。
黒澤明『羅生門』を連想してしまうが、自分に都合のいい言い訳や保身のための嘘、それらが事態をより混乱させ、真相が見えない謎めいた方向に導いてしまう。
本作は、厳しい戒律の下、いかに自由を得るかというお国柄の問題を背景に、人間のエゴという普遍的な問題を交錯させて混沌とした世界を作り出している。
練り込まれた脚本と繊細な心理描写で、後半は面白い心理サスペンスになっているのだが、子どもが溺れるという事件が起きるまでの前半は、グループのはしゃぎ振りを見るだけで、やや退屈した。
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