孤独な都市生活者が繋がり、やがて破滅していく群像劇
《公開年》1986《制作国》台湾
《あらすじ》主な登場人物は4人。カメラ小僧のシャオチェン(リウ・ミン)、彼が一目惚れするハーフの不良少女シューアン(ワン・アン)、小説家の妻イーフェン(コラ・ミャオ)と医師の夫リーチョン(リー・リーチュン)の夫婦。
ある日、カメラ小僧は銃声を聞いてその現場に駆け付け、ケガをしながら逃走する不良少女を撮影し、一目惚れして、不良のたまり場を借りて暗室にした部屋中に彼女の写真を貼った。
同じ頃、作家妻は小説が書けなくて悩み、医師夫は課長昇進のチャンスにあたり、上司部長に取り入ろうとしている。
ケガで思うように動けない不良少女はイタズラ電話を始め、かけた先が作家妻で、誘いに乗って出向いた先がカメラ小僧の部屋だった。作家妻は夫と別れ、元カレの編集者に誘われ出版社で働くと家を出てしまう。
イタズラ電話ばかりしていた不良少女は次に売春に手を出し、客とのトラブルから刺して逃げた先が元アジトで、そこでカメラ小僧と出会う。うまくいきそうだったが、そうはならなかった。
しばらくして作家妻が文学賞を受賞する。怪電話がかかってきて、最後に夫が妻を殺して自殺するという内容の小説だった。
妻が書いた小説を読んでも理解できない医師夫には不幸が訪れる。課長昇進が消え、妻と編集者の仲睦まじい現場を見てしまう。それを隠し彼は友人の刑事を訪ね、昇進と偽って祝い酒を酌み交わす。朝、刑事が目覚めると医師夫の姿がなく拳銃が消えていた。医師夫は銃を使って上司部長を殺し、妻の愛人編集者も殺し、警察に追われる身となっていた。
《ところが実は》それは医師夫が望み、観客も想像するであろう“妄想の展開”で、実際には刑事の家の浴室で拳銃自殺をしていて、妻と編集者がベッドを共にし、妻が目覚めるところでエンド。
《感想》「えっ!何コレ」と驚き、妻からも出世からも見離された男の悲劇に終わってしまい、カタルシスを削がれた形のエンディングに観客はざわつくはずである。
前半は、分かりにくい人間関係と展開に退屈さを覚えるが、少女がかけたイタズラ電話に着想を得て作家妻が小説を書き、それが賞を獲って繋がりができるあたりから興が湧いてくる。中盤で何となく関係が見えて、終盤どうなるのか思い描くと、夢オチというとんでもないどんでん返しにあうので、一筋縄ではいかない。
資本主義が浸透していく時代の中で希薄になっていく人間関係、わかりあえず、図らずも傷つけあってしまう切なさが見える。雑然とした都市生活に隠れた闇であり、見えない恐怖でもある。
最小限の音とセリフで淡々と進む静謐さが緊張感を生み、ノスタルジックな雰囲気の映像はあくまでも美しい。
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