静かな日常と幸福を愛おしむ詩人を描いた詩的な映画
《公開年》2016《制作国》アメリカ
《あらすじ》ニュージャージー州パターソンに住むバス運転手のパターソン(アダム・ドライバー)は妻ローラ(ゴルシフテ・ファラハニ)と二人暮らし。日々考えついた詩をノートに書き留める詩人でもある。
愛する妻との平凡な暮らしを大切にし、仕事は淡々とこなし、夜には犬の散歩に出かけて途中のバーで一杯のビールを飲む。そんな彼の一週間が描かれる。
ローラは夫にお願いしてギターを始め、カップケーキを作って市場に出す。そんな妻の姿をパターソンは微笑ましく見つめている。妻からは詩のノートをコピーするよう頼まれていた。
ある日、立ち寄ったバーで、馴染み客の別れ話のもつれから起きたトラブルに巻き込まれ、我が身の平穏さに妻への思いを新たにするのだった。
ところが、二人して映画を観に出かけた夜、帰ると犬のいたずらで詩のノートが粉々になる、という事件が起きる。
翌日は日曜で休日だが、まだショックから立ち直れないパターソンは一人散歩に出てベンチに座っていると、一人の日本人の男(永瀬正敏)に声を掛けられ話し込んだ。共に敬愛するパターソン出身の詩人の話をし、男はパターソンに一冊のノートをプレゼントして「白紙のページに可能性が広がることもある」と言い残して去って行った。
月曜日、詩に支えられた新たな日常が始まった。
《感想》何か劇的なことが起きそうで結局何も起こらない。ささいな変化はあるものの、当たり前の日常を淡々と描いていく。
事件といえば最後に犬のいたずらで詩のノートを失ったこと。彼の日常を支えていた詩、彼がどう立ち直るのかが気になる。今生きていることも過去の蓄積の上にあるのだから、過去の詩作に未練はあるだろうが、過去に何を思い、何を記したかは彼にとってあまり重要ではないのかも知れない。
妻から詩を発表すべき、だからコピーをとって欲しいと言われながら先延ばしにしてきたパターソン。彼にとっての詩作は、他者に対する自己表現の場ではなく、衣食住と同じような日常の行為だったのだろう。
今日感じたことを今日記し、明日を迎える。日記でありアルバムなのだが、過ぎ去った日常を振り返るというより、一日一日を書き留めることで、昨日と違う今日を生きている、そのことを確認しているかのようである。不確かな日常を確かなものにするために。
日本の詩人(永瀬)からもらった白紙のノートに何を記すのかも気になる。
永瀬に「詩の翻訳はレインコートを着てシャワーを浴びるようなもの」と言わせているが、対訳詩集を持ち詩人の故郷を訪ねる奇妙な男からの刺激で、これからはノートに記す詩も、彼の日常も変わるかも知れない。
何気ない日常があって、日常を書き留めてきた詩があって、それを失い、同時に他者からの示唆があって、新たな日常に、新たな詩を書き留めていこうとする。この映画こそが一篇の詩のような気がする。
※他作品には、右の「タイトル50音索引」「年代別分類」からお入りください。