未解決事件を巡る、善悪見極め難い中の人間ドラマ
《公開年》2017《制作国》イギリス、アメリカ
《あらすじ》舞台はアメリカ・ミズーリ州の田舎町。娘・アンジェラをレイプ殺人で失ったミルドレッド(フランシス・マクドーマンド)は、道路脇に3枚の広告板を出した。「娘はレイプされて焼き殺された」「未だに犯人が捕まらない」「どうして?ウィロビー署長」というもの。
警察のウィロビー署長(ウディ・ハレルソン)は人望があり、署員や町の人から尊敬されていて批判はミルドレッドに集中し、特に差別主義者として悪名高い警官ディクソン(サム・ロックウェル)は憤慨した。ウィロビー自身が説得してもミルドレッドは引かず、自分がすい臓がんで余命短いことを告げても効果はなかった。
町の歯医者の嫌がらせに抵抗して事件を起こしたり、ディクソンの脅迫にあったり……。元夫チャーリーですら看板には否定的だった。
ところがそんなミルドレッドの元に送り主不明で看板の費用にと送金があり(後にウィロビーからと判る)、時を同じくして死期が近いと悟ったウィロビーが自殺してしまう。ミルドレッドは人殺し同然と思われ一層の攻撃を受けるようになり、ディクソンは広告屋のレッドを2階から突き落とす事件を起こして新任の所長から解雇を言い渡される。
ウィロビーは二人に手紙を残していて、ミルドレッドには謝罪と看板への称賛の言葉が、ディクソンには警察官としての激励の言葉が残されていた。
そして3枚の看板が焼かれるという事件が起こる(後に元夫の仕業と判る)。
看板への放火は警察と思い込んだミルドレッドは警察に火炎瓶を投げ込み、その場に居合わせたディクソンは大やけどを負い入院する。
退院したディクソンは、手紙によってすっかり改心し捜査に取り組み、酒場の男の会話から容疑者情報を掴むが、犯人ではなかった。ディクソンとミルドレッドは和解し、犯人ではないがレイプ殺人犯には違いないその男を殺しに、二人して(結論は道々、決めることにして)アイダホに向かってエンド。
《感想》複雑に入り組んだ映画というのが第一印象。
1)悪人なのか善人なのか見極め難い複雑な背景と、その変わりゆく様が見て取れる。ミルドレッドは反感を恐れず粗暴だが、全て娘への思い(愛や後悔)に根ざしていて、ディクソンはキレやすい差別主義者だが、元来は仕事での活躍を願っていた。それが人格者にして善人のウィロビーとの関わりで、徐々に本来の自分を取り戻し、多分ラストも人を殺すことはないだろうと予感させ、二人とも柔和な表情になってくる。
2)実話を基にしたリアリズム志向の中に突然のご都合主義と笑いが挿入され和ませる。ディクソンの暴行で入院した広告屋レッドと、大やけどで運ばれたディクソンが同室になり、レッドが差し出すジュースにはニンマリする。凄惨な話にコメディの要素をうまく溶け込ませていて、機知に富んだ会話も多い。
この映画では事件そのものは解決に至っていない。しかし絡んだ人間関係の糸はほぐれかけてくる。それは互いを知り赦し合えること。「怒りは怒りを来す」その収束に向けた気付きが二人の微笑みに表れている。
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