『牝猫たち』白石和彌 2016

昔懐かしくも今風に乾いた、社会派ロマンポルノ

牝猫たち

《あらすじ》舞台は池袋の風俗店で、デリヘルで生計を立てている三人のドラマが描かれる。三人は本名も知らない間柄だが、親密な交流を持っている。
雅子(井端殊里)は、普通のOLから借金を作ってデリヘル嬢になり、ホームレス生活を送っている。常連客の高田は引きこもりで、ネットを相手に暮らし世捨て人のように他人との関係を求めない。孤独を埋めるかのように求め合い、互いに「嫌いではない」間柄にあるのだが、雅子の「逃げないで、真っすぐ私を傷つけて」という求めには応じず、高田は孤独の世界に戻ってしまう。雅子の働く店はつぶれ、業界内の縁で別の店に移る。
結衣(真上さつき)は、子どもを素性も知れぬ男に預けて仕事に出る、半ばセックス依存症的なシングルマザー。子どもへの虐待を繰り返してしまう結衣は、愛情に飢え、不安や寂しさから苛立ち、快楽を求めて、愛とはかけ離れたSM趣味のお笑い芸人と結ばれてしまう。結衣の関係で描きたかったもう一人は、子どもを預かっているニート風の男。虐待を知りながらも傍観者の域から抜けようとはせず、すべて諦め切っている風の無力感丸出しの若者で、生きにくい社会の片隅に生きる典型的若者像ということか。
里枝(美知枝)は、不妊症から家庭生活がうまくいかず、夫に浮気され、自暴自棄で風俗の世界に入り、老人への同情心が、他者から必要とされている自分という価値観に変わり、そこに自分の存在意義を見出していく。知り合った独居老人に同情し、無理心中くずれの自殺を手伝う結果になってしまう。
登場する女たちは皆、孤独と不安を抱えながら、生活のために風俗という世界に漂い、これからもしたたかに生きていく。



《感想》ネットカフェ難民、シングルマザー、不妊症、独居老人、引きこもり、ベビーシッター、それぞれ問題を抱えた人たちを風俗の世界で結び付け、重くなり過ぎないようエンタメ要素を加えた群像劇。
日活ロマンポルノ45周年記念制作の1本だが、本作が最もいい。白石監督は前作「日本で一番悪い奴ら」では女性の描き方が弱いと感じたが、本作では三人のヒロインが抱える孤独、不安、虚しさ、切なさがヒシヒシと伝わってくる。
かつての田中登「牝猫たちの夜」(1972年)へのオマージュだが、三人の風俗嬢という以外の設定はより今風になり、本来のシナリオ作りのうまさを発揮している。特に、うまく生きられない男たちの、自己肯定するためにもがく姿が45年前とは大きく違っていて、その現代的な視点を新鮮に受け止めた。
ただ、濡れ場は10分に1回という制約のゆえか、少し無理している感があり、淡白にして情は薄い、やや湿度不足という印象である。
昔懐かしい白川和子、吉澤健が出演している。描かれるのは現在の池袋だが、70年代を思い起こさせる雰囲気を持っている。

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投稿者: むさじー

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