『フェイク・ライフ 顔のない男』マチュー・デラポルト

孤独な男が他人になり罪を背負ってまで得たかったものは?

フェイク・ライフ顔のない男4

《公開年》2014《制作国》フランス、ベルギー
《あらすじ》不動産会社で賃貸物件紹介の仕事をするセバスチャン・二コラ(マチュー・カソヴィッツ)は、特殊メイクをしてその人になりすまし、留守時を見計らってその家で生活をするという奇妙な趣味を持っていた。
あるとき、顧客の一人である著名なバイオリニストのアンリ・モンタルト(カソヴィッツの二役)に出会う。彼は事故で指を失い静かな生活を望んでいたが、昔の恋人クレマンス(マリ=ジョゼ・クローズ)から息子ヴァンサンの認知を迫られていた。
母子を拒絶するモンタルトに成り代わって、モンタルトに成りすました二コラは二人と交流するようになり、息子との間に親子のような感情が芽生えてくる。そしてモンタルトの突然の自殺で歯車が狂いだす。モンタルトに自分似のメイクを施し、衣服を着せ、自宅で自殺したように見せかけ、自分をこの世から抹殺してモンタルトに成りすますことに成功する。
しかし警察はモンタルトによる二コラ殺しを疑い、捜査の手が伸びていることを知ったモンタルト(実は二コラ)は財産を母子に与え、認知をして逃亡し、完全にモンタルトに成りすますための手術を施す。そして逮捕され,述懐する。「私は別人になった。“私”になれたのだ」。



《感想》実際に殺人の罪は犯していないのに、その罪を背負ってまで手に入れたかった他人。それまでの長い孤独な日々、そんな中で「他人に成りすますこと」は唯一の生きがいであり楽しみだったが、彼を父親と信じて慕うヴァンサンの出現で、彼に初めて他人への感情が芽生え始める。そして真に欲しかったものが愛情であることに気付く。だから大金をかけて整形し元の顔を壊し、逮捕され刑務所に入ってまで欲しかったのは「家族の愛」という結末で、とても切ないエンディングだった。
ヴァンサンとの絆を取り戻すべく、本物のモンタルトになろうと「父親が息子を捜す映画」をレンタル屋で訊ねる。選んだのが「スーパーマン」第1作というアメリカ映画なのも面白い。内容は次のとおり。
科学者ジョー・エル(マーロン・ブランド)は、人間そっくりの知的生命体が暮らす惑星クリプトンに住み、惑星の将来の破滅を確信し、自分と妻は惑星に残るが、幼い息子カル・エルだけは宇宙船に乗せて地球に脱出させる。そしてカル・エルが18歳になったとき、北極圏でホログラムになった父親に再会し、父親の教育と鍛錬の末に正義の超人スーパーマンになるというストーリー。
息子を一人宇宙船に乗せて放つ際「肉体は滅びても、魂は一緒だ。私はお前の中にいる」。この映画をヒントに二コラは、Fake Life(ニセの暮らし)を終わらせる。いっとき「息子」の元を離れても「本物」になろうとする。
ストーリーの粗さとか破綻とかは少し見えるが、「現代の寓話」として見れば相当に面白い。まさにフランス風エスプリの効いた明確なメッセージと、余韻の温かさを評価したい。
(※本作はWOWOW放映のみで、劇場未公開。DVDは発売されていません。)

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投稿者: むさじー

映画レビューのモットーは温故知新、共感第一、良品発掘。そして、世間の評価に関係なく私が心動かされた映画だけ、それがこだわりです。やや深読みや謎解きに傾いている点はご容赦ください。 映画は広くて深い世界、未だに出会いがあり発見があります。「いやぁ~映画って本当にいいものだ」としみじみ思います。