時を超え、1冊の本を介して女性三人の人生が交錯する
《公開年》2002 《制作国》アメリカ
《あらすじ》遠い時空を超越して、ヴァージニア・ウルフの小説「ダロウェイ夫人」に関連する女性たちの三つのストーリーが交錯する。
(1)一人目は1923年、ヴァージニア・ウルフ自身(ニコール・キッドマン)で、療養のため移り住んだ田舎で小説「ダロウェイ夫人」を執筆している。
(2)二人目は1951年、ロスアンジェルスに住む主婦のローラ(ジュリアン・ムーア)で、恵まれた家庭を持ちながら、主婦や母親の生活に馴染めず、愛読する「ダロウェイ夫人」に共感して自殺を考えている。
(3)三人目は2001年、ニューヨークに住み「ダロウェイ夫人」と呼ばれる編集者のクラリッサ(メリル・ストリープ)は、エイズで死期が迫った恋人のリチャードの文学賞受賞パーティを開こうとしているが、やがてリチャードがローラの息子であることが明らかになる。
物語は、彼女たちが朝起きたところから不気味につながっていく。
(1)ヴァージニアは小説の最初の一文を思いつき口にする。(2)ローラはそれを読む。(3)クラリッサはそれを行動にする。「花は私が買ってくるわ」。
昼過ぎ、三人にそれぞれの客が訪れ、その客が彼女たちの何気ない一日を変えていく。
(1)ヴァージニアには、都会で幸せに暮らす姉と子どもたち。(2)ローラには社交家で友人の多い女友達のキティ。(3)クラリッサにはかつて複雑な三角関係にあったリチャードの同性の元恋人が訪れ、それぞれのエンディングを迎える。
(1)ヴァージニアは夫に感謝の言葉を残して入水自殺する。(3)リチャードは突然、思い出とクラリッサへの愛を語り、クラリッサの目の前で飛び降り自殺を図る。
(2)リチャードの死の連絡を受けてクラリッサ宅を訪れた母親ローラは、自殺を思いとどまり、妊娠中の子を産んだら家族を捨てて家を出る決意を語る。
《感想》ヴァージニアとリチャードは夫や恋人の重荷にならないよう死を選び、ローラは自死の代わりに家族を捨て、自らの人生を生き抜くことを選んだかのように見える。
家族に愛され恵まれた生活をしながらも、その暮らしに息苦しさを感じ、心が満たされない女性たち。幸福に追い詰められ、別の生き方(あるいは死)を模索していく。そこに同性愛という愛の形が絡んできて、死や絶望に焦点を当てながら、併せて生きる希望や様々な愛の形を描いている。
語られるのは「日常に潜む死の誘惑」「家族愛、同性愛」「生きるとは、幸せとは」……結局、アイデンティティを何に求めるか、という哲学的なテーマに行きついてしまう。それも声高に訴えかけてはこない。
正直よく分からない。無理に分かろうとしなくてもいいような気がするし、美しい映像に酔い、その映像から生きることの切なさを感じ取れればいい。この作品の素晴らしさは、何より主演三女優の力業ともいえる鬼気迫る演技に依っている。
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