『魚影の群れ』相米慎二 1983

マグロ漁に賭けた男と支える女の愛憎のドラマ

魚影の群れ

《あらすじ》大間のマグロ漁師・小浜房次郎(緒形拳)は、娘トキ子(夏目雅子)が結婚したいという、町で喫茶店をやっている青年・依田俊一(佐藤浩市)からマグロ漁を教えて欲しいと頼まれ、一緒に船に乗り込むのを許した。
不漁の日が続き船酔いも克服した頃、マグロの群れにぶつかり、マグロの強い引きに釣り糸が俊一の頭にからみ、俊一は助けを求めるが、マグロとの闘いに夢中な房次郎は俊一をほったらかしにして、その関係は亀裂、退院の後に二人は町を出て行った。
かつて妻アヤ(十朱幸代)も海に生きる男の激しさに疲れ家を出て行ったが、そのアヤと北海道の伊布港で20年振りに再会する。懐かしさと20年の歳月が二人のわだかまりを溶かすが、それもひと時のことでヨリを戻すことはなかった。
その頃、マグロに釣り糸を切られ、老いを感じていた房次郎のもとに、娘夫婦が顔を出すが、縁を戻すことはなく、自らの持ち船で漁に挑んでいた。ある日、俊一の船の無線が途絶え、トキ子から捜索の依頼があって、房次郎が海に向かうと俊一は巨大マグロと格闘中で、重傷を負っているのを見た房次郎は釣り糸を切ろうとするが、俊一から「切らないで。俺も大間の漁師だから」と懇願され死闘は再開する。大物を仕留めることはできたが、帰港の途中、俊一は房次郎の腕の中で息を引き取り、連絡を受けた妊娠中のトキ子は、夫の「男の子なら漁師に」の遺言に、海に向かって「わかんねぇじゃー」と叫びエンド。



《感想》マグロ漁に憑りつかれた愚直な男と、その男たちに振り回される女たち。マグロが獲れれば共に喜び、獲れなければ励ます。支えることに幸せを感じたり、支えることに疲れたり、疲れ切って離れたり、帰ってこない夫を想い海に泣き叫んだり……男と女では求めるロマンが違うのかも知れないが、その違いがこの愛憎のドラマでも感じられた。
マグロ漁はドキュメンタリー・タッチ、セリフは強烈な下北弁というリアリズム追及の演出に応えた俳優、迫力ある映像を撮った撮影スタッフともに凄い。熱かった時代の映画という気がする。
ただ、独特の長回しなので、やや冗長に感じる部分はあった。俊一が事故にあった後、その安否はいかがかと気をもんでいると、とても長い元夫婦の再会の話が挿入されて、30分位経ってから元気な姿を現すという気の持たせ方に、気短な人はイライラするだろう(それに耐えてください)。
主演の緒形拳はプロの漁師かと見まがうほどの熱演、夏目雅子は健気に支え、ときに叱咤する漁師の娘であり妻である女を好演している。

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投稿者: むさじー

映画レビューのモットーは温故知新、共感第一、良品発掘。そして、世間の評価に関係なく私が心動かされた映画だけ、それがこだわりです。やや深読みや謎解きに傾いている点はご容赦ください。 映画は広くて深い世界、未だに出会いがあり発見があります。「いやぁ~映画って本当にいいものだ」としみじみ思います。